《脳》徒然草-143
家人がすべての通帳の入出金は管理しているために、私は30有余年一度もお金を降ろしたことがない。この二つの学習は、釈放された、又は刑期を終えた人が最初に学ぶことである。私は正にその人達と同じ状況にいることに、前日気付いて語ったのである。
その翌日、家人がキャッシュカードを再発行してもらわなければならなくなり、ついては本人ではないと手続き出来ないと言う。カードの磁気が擦り減って機械が反応しなくなったため。
何年使ったのか尋ねた処、第一勧業銀行時代のカードで、20年以上使用しているらしい。今はみずほ銀行になっている。一枚のカードの寿命として長いのか短いのか判らないが、こうして銀行へ行くはめになり、期せずしてお金の降ろし方を学んだ。
携帯もガラケーと呼ばれる2017年物で、今や正にガラパゴス携帯そのものになってしまっている。スマホもカード決済もマイナンバーカードも持たず、一向昭和レトロのままの生活を送っている私にとって、社会復帰は晩年の課題でもある。
車にしてもガソリンエンジンしか乗らず、オーディオもアナログレコード最良とし、針を落とし、スクラッチノイズと共に再生音に酔いしれている。時計も機械式を使い、アンプも真空管で、車も1990年製のマニュアルミッションで、勿論メーターもアナログの丸型の回転計とスピード計である。
唯一デジタルなのは、電子書籍だけである。印刷本もあるが、これに限ってはデジタル本を出すことに同意して、データが数字となって保存されている。
パソコンも使わず、分析記録はすべてのクライアントが、私の頭の中のハードディスク、即ち脳の中にねむっている。延べ何万人の何万回分のデータは、すべて私の記憶の中にある。究極のアナログは脳である。