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ブログ  精神分析家の徒然草 

《 無 》徒然草-158

TVのバラエティー・クイズ番組でのことだが「本は紙でなければという30~40代のアンケートで、何%の人がいるかで、60%を越えていたのには驚いた。電子書籍が、既に紙の本を上回っていると思ったら、実はまだ、30~40代限定ではあるが、半数以上存在している活字派がまだ生き延びていることにむしろ呆然とした。

まだ本も捨てたもんじゃないと、ほっと胸を撫で降ろした。何にほっとしたかといえば、まだ国語の体系が崩れていないことにである。AIが文章を作るようになり、自らの思考と手において原稿を書く人は既に絶滅危惧種になってしまったかと思っていたからである。



私は未だに原稿は手書きである。PCで打ったことは一度もない。唯PCのアルファベット変換が苦手なだけであるが、原稿に万年筆は続けている。気分と紙との相性でモンブラン、ウォーターマン、ペリカン、パーカーといった使い分けはしている。文字の太さも変える。

だが、唯一出版できた『病気は心がつくる』はすべて口述筆記で、一文字も書いていない。頭に浮かぶフレーズに、手が追いつかないので、仕方なしに口述にした。唯次に出版した『令和の徒然草』は手書きである。勿論これもそうである。因みにモンブランのスペアインクタイプの中字で書いている。



活字を読む、活字を書く。人間がこの行為をし続ける限り、人は人であり得るが、それが出来なくなった時、人類は絶滅危惧種に名を連ねることになる。

限りなくその危機に温暖化同様、着実に歩を進めている。温暖化は世界の平均気温の臨界温度の1.5度を超えてしまい、一足先に危惧から危険の領域に足を踏み入れてしまった。その後をAIが追っている。もう間もなく追い着くであろう。

その時、人類は最期のページに何とかくのだろう。おそらくこう書くであろう、「無」。

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