精神分析が目指すもの、カウンセリングの効果の実例
「精神分析家は、感謝されたら終わりだ」
「クライアントはセラピーのことはすべて忘れる。それが最高!」と。
この言葉をそのまま実証したAさんの姿から精神分析の目指すもの、精神分析は何かが浮き彫りになった。
セラピーを終了したAさんと毎年定期的に数回会う。
セラピー終了時にあった時は、何を言っても「大丈夫、大丈夫」と連呼していた。
次の年に会ったときは「できる、やれる、夢は叶う」で、
そして次の年は「感謝、ありがとう」に変容していた。
そのわずか3か月後、Aさんの現状は激変していた。
「小さな一歩だけど夢が叶った。夢の一歩が始まった」と喜びの報告を受けた。
⇨ セラピー、カウンセリングのメリット
⇨ セラピー、カウンセリングの効果
目次
- ○ 苦しみ、恨みはすべて忘れる
- ○ 自立という名の自由
- ○ しあわせの種
- ○ 思考は物質化する
- ○ 精神分析は愛の種を蒔く
苦しみ、恨みはすべて忘れる
Aさんは分析を受けた当初、死にたい、辛い、苦しいと言い続け泣き続けていた。腰痛で入院したときは、あまりの痛みで何度窓から飛び降りようと考えたかわからないと言っていた。
そんなAさんが見事に自分を取り戻し自分の人生を手に入れた。それはどのようにしてか。
Aさんは、先ず手当たり次第に色んな書物を読み、貪欲なまでに学び続けた。
その間に食にも拘り、自然食品、添加物無し、国産品オンリーに徹底した。体に良いがモットー。柔軟体操や有酸素運動、早寝早起き。健康であることが第一義に生活を改めた。
私にも沢山の助言をくれる。その一つ一つは、すべて先生が常に言っていた言葉だった。
しかしAさんはその言葉を著名人から感銘を受けた、素晴らしいと、その人の本を読み漁っていた。
自立という名の自由
自分で発見し摂り入れたことになっている言葉は、果して、本当にその気付きは、Aさんが自力で手に入れたのだろうか。一度先生の講座やセラピーで耳にしているから、書物や著名人の言葉が引っかかったのではないだろうか。知らないことは気付かずに素通りしてしまう。
「クライアントは分析家の主体を抹殺し、そこに自らの主体を挿入する。それをクライアントは、自分で決め、自分でその自由を獲得したと思うのである」、先生の言語そのままの現象。
分析家に感謝するということは、クライアントのパーソナルに関与したことになる。何かしら助言したか、分析家の言葉に従ったこと。すると、責任は分析家が負うことになる。それは依存になってしまい、「すべて人のせい」になる。だから感謝されたら終わり。
Aさんの話は、先生が言ったことの再現でしかない。それでも自分が発見し、実行し、結果を、我が自らの力と喜び感動する。あーこれこそ、精神分析の目指す処と知った。感謝されないことは生きる力を与える。
ひたすらクライアントを見守り続け、クライアントのすべてを全受容し全肯定することで、クライアントは自分を全受容でき、全肯定できる。それが自分を信じ切れる力となる。
先生の言う「何も足さない、何も引かない」はオリジナリティの尊重。確かにAさんは全く変わっていない。ただネガティブな言語がすべてポジティブ言語に変わっただけ。ネガティブ言語はもう一切ない、払拭されている。歩み進み続けている。躍動している。
しあわせの種
Aさんの次の自我理想は、決まっている。一つ一つ自我理想を獲得している様を見せて、人間の素晴らしさを教えてくれる。
自らの力を信じ、歩み成長し続ける、その心の種を先生は蒔いている。クライアント一人一人のオーダーメイドの種。それが精神分析なのかと、Aさんの話を聞いていて思った。
本人はいつ種を蒔かれたかは判らない。ただ自分でお日様にあたり自分で水を与え芽が出たと思う。双葉が出て本葉が出て花が咲き実がなる、そして種が地に帰る。
その種はしあわせのお裾分けとなる。しあわせが広がっていく、そんなイメージを抱かせられる。
思考は物質化する
Aさんは、本や著名人の言葉をすぐ摂り入れ、同一化を目指す。
象徴界を持ったのだ。言表行為者も言表内容も関係ない、ただその言語のみ、その言語を「大他者」とラカンは言ったのかと。
それを素直というのかも知れない。
ただ黙ってその言語に同一化すればいい、その言語は私の引き裂かれた一部なのだから。
言語は無味乾燥で実感は無いが、自分でそれを摂り入れ知識となったとき、感動があるのではないだろうか。
先生はいつも軽やかに話される。Aさんに言われた「終了です」もきっと軽やかだったに違いない。しかし、その軽やかさとは裏腹に先生が私たちクライアント一人一人にくれる言語には確固たる保障があると気付いた。
Aさんはその裏付けされた保障の下、自立し、自分の夢の一歩を手にした。前へ前への推進力の源にその保証がある。
精神分析は愛の種を蒔く
お母さんが全受容し全肯定し世話をして、お父さんの確固たる言語の保障があれば、そういう両親の下に育ったなら、子供は自由で好奇心旺盛で、ポジティブな心が育つ。前へ前へとAさんみたいに楽しそうに未来が輝くのだろう。
本来、しあわせの種は両親が植えてくれる。それが両親のコンプレックスの種を植えられてしまうと、しあわせの種と植え替えるしかない。
不幸の種を植えられたと気付かずに、自分を責めたり落ち込んだり、無気力だったり、毎日死んだように生きるしかない。そんな種は捨てる。燃やして灰にする。肥やしにする。
そして自分だけの一つしかない種を植えて、自分の人生を取り戻す。
自分の種はどんな花が咲き実をつけるのか、ワクワクしないか。
精神分析はその希望と前向きな心をつくること。
精神分析は、愛そのもの。色とりどりの様々な愛の種を蒔くこと。(T.H)