《 決意 》徒然草-149
我々は年を重ねる毎に経験を積み、知識を蓄え、知性を磨き、人間として成長しているのでる。そう思えば、正月はめでたい事となる。晴がましさは必要ないが、齢を重ねることは人として熟成して陶冶していくことなのだ。
2003年に私は『心的遺伝子論』の著作の中で、DNAにだまされるなと書いた。何故か人は、文化や誤った医学により、人は年を経ると老化して衰弱し、死に至るものだと決めてかかっている。私は細胞の寿命は500年あると言ってきた。その根拠は、無意識によるcomplexがなければの条件である。
人間の心はあれかこれかで葛藤したり不安になる。その心の揺れと圧迫が、体に作用して細胞を壊すから、寿命が100年ほどになってしまうのである。
ストレスもなく、自然の中で自然のままに、自然の一部に成り切ってしまえば、樹木が何千年も生き延びるように人もまた生きていけるのである。しかし、その生命力も心の求める意味に於いて、生きる意味を失えば、消えてしまう。
何かをするのに年齢は無い。在るのは「する」という意志だけでいい。そこに年齢は関係無い。そんな事考えていたら、NHK TVで重源の大仏再建と大仏殿の建立に尽力した姿を語る番組を観た。そこで解説の歴史学者が、重源の偉業を成し遂げたその意気を唱え、そこから学ぶ教訓を「年齢で生きてはいけない」と言い切った。
重源が大仏・東大寺の復興に着手したのは61歳の時だった。完成は24年後の85歳の時だった。この事から、何かを成すのに年齢は無い事を悟らなければならない、一般人は。
私も今年は決意を新たにし、精神分析を世に出すために粉骨砕身、刻苦勉励、無我夢中に身を投じ、力の限り邁進する決意である。