「煩悩に苦しむ人へ」 格言-152
『あらゆる欲望を捨てて得られるものは、自由である。それは、時間が存在しない唯一の空間だから』
欲望はラカンの云う通り、シニフィアンの運動から生まれる、換喩と隠喩の産物であり、時間に沿って進む、痕跡でしかない。在るのは、その点である欲望が満たされたあとの残骸の軌跡だけである。
残ったものはその軌跡の空間だけで、欲望が止まり、あるいは失い、捨ててしまえば、急き立てる欲望がなければ、虚空がそこに在るだけになる。
こうして人が欲望を捨てた状態をお釈迦様は「空」といい「無」といった。生きながらに成仏するとは、このことを指していた。空間が残り、欲望が無くなる。この心理を「空無」観と言った。
欲望が無限なのは、その欲望と軌跡が数字と曲線を成すからである。数も線も無限であるから。