《もっと》徒然草-130
一人で黙々と食べている男、女。それに二人連れが多い。それも男と男、女と女同志の同姓のカップルである。しかも足許が覚束無い、不如意な足運びで、ゆらりゆらり海に浮かび進んで来る船のように店内に入り、席に着く。
これと同じ体験をした事がある。それは平日の高速道路のSAの店内で、売店もレストランもほぼ高齢者で埋め尽くされていた光景を見た事がある。
日本には、もう高齢者しか居なくなったのか、と思い背筋が寒くなった覚えがある。カフェのランチはそれほどではないが、若い人達は何処に消えたのか、些か日本の将来を憂い、未来の日本に思いを馳せる次第である。それは暗澹たるもので、楽観的風景はどうやっても見えてこない。その前兆が今、眼の前に在る。
向かいの席に男の二人連れがすわった。ランチ時なので食事をとるのかと思ったら、タワーマンションのようなアイスとチョコと生クリームなどが白黒のストライプで積み重なったパフェが届いたのである。
二人共同じものを注文し、同じように黙々と食べ始めた。会話は一切なく、無心にそれを口に運び、キレイに平らげた。これが老人のランチなのだった。家で食事を済ませ、家では食べられないものを食しにきたのだ。正統な食行動である。
しかし、高齢な男二人が共に女性や子供が好きそうなパフェを、男二人で向かい合って食べている姿は、私にはシュールに見えた。それは単に常識と自分勝手な思い込みでしかないことは知りつつも、何か意表を突かれたようで、自らの思い込みを、常識をまだ持ち合わせていることを知り、忸怩たる思いを持った。
もっと自由に、もっと広く、もっと大きく心を持てと、心中秘かに叫んでいた。