人は他者を鏡として、自己を知る <鏡に映る私>
駐車場から出る道は、住宅街なのでとても狭い。ある日、駐車場から出ようとしたとき、少年が気付き、一歩下がって待ってくれているのが判ったので頭を下げました。すると少年も頭を下げました。唯それだけのことなのに、通り過ぎるとき私はなんだか嬉しく心が温かくなり、再度頭を下げました。
この気持ちは何だろう…と、私は考え始めました。
最初頭を下げたのは、何も考えていなかった、ただ少年の行為に対する反射。私の反射に対して少年も反射して頭を下げた。私は彼が待ってくれていたそのことよりも反射してくれたことに、なんだか嬉しく心が温かくなり、再度頭を下げたように思います。
そこで先日の『テーマ別講座:ジェラシーⅠ』で先生が話された「母の反射と反応」の話が浮かびました。母子関係で重要な「母の反射」が、赤ちゃんの存在証明になるという。
私は、私という存在証明が少年との間に交わされたのではないかと考えました。
【テーマ別講座「ジェラシーⅠ」一部内容】
赤ちゃんとお母さんの間で最初に行われるのが母の反射。お母さん(一貫して世話行動する人、一般的に母とする)の反射とは、赤ちゃんが泣く、これは赤ちゃんの言葉です。お母さんは赤ちゃんの泣き声でお腹が空いたのか、おむつが汚れたのか、眠いのか、判断します。
もし、お腹が空いたサインなら、お母さんは敏速に授乳します。これが反射です。母の反射により、赤ちゃんは自分のお腹が空いたという身体感覚の確かさを学ぶと同時に、自分が存在していることの証明になり、お腹が空いた自分を母に承認されました。
その承認は、敏速・的確な世話行動の反射の反復により積み重ねられ、「自分は居ていい」になります。
まだ赤ちゃんは言語がないので、安心と安全な場で「心の安定」という形で規定されます。それは存在証明、居場所があるということ。
ということを、授乳を例に冒頭で話されました。
私は、会釈した私にオウム返しのようにした少年の会釈で、少年が鏡となり、私という存在が写し出されたのだと思いました。無視されなかった! 無効にされなかった! 透明人間ではない! ただ存在証明されたことが、嬉しくて心が温かくなったのでした。
「嬉しくて心が温かくなった」は、私の意味です。
意味が生まれ、有難くて通り過ぎるときに再度会釈しました。意味が生まれた反射は反射ではなく、それは反応だということでした。
意味の発生により私は自分の欠如を知り、「あ~私には居場所が無かった。私の声は届かず無視され、存在証明もされず透明人間になって生きてきた」と。
少年と私との間で交わされた些細な会釈が、こんなに心に残るなんて、どれだけ無視されてきたのだろう。安心も安全も無く、居場所も無い処に居たんだろう、と私は思いました。
それが見えたということは、今の私と過去の私の差異があることです。もうそこには居ないという証左になりました。もう私は透明人間じゃない。人間の存在証明が、確定した瞬間でした。それが嬉しくて心が温かくなり、幸せな気持ちになったんだという考えに至りました。
講座で話された「敏速・的確な世話行動が存在証明になる」を、何気ない少年の反射により体験しました。
反射されたことにより自分が生まれ、他我(自分以外)が生まれます。他我が発生しない限り自分もありません。それは対象が無いことにもなります。対象が無ければ、そこに向かう言葉も生まれない。それ以前に自分も無いのだから言葉を失っています。
言葉が無ければ、自分は消え「良い子」という名の母のコピーが存在するだけです。
私も母と同じように反射しない母、鬼母、毒母だ。私は毒母だったんだ、毒を振り撒いていたと気づきました。
人間の存在証明は、母の敏速な反射、的確な世話行動により証明されるのだと知りました。
すべては母が子供の鏡になること、母のコンプレックスを投影しないで子供の言う通りにすること、無邪気な子供をそのまま写すことが、すべての始まりだということでした。
人間の存在証明はそこから始まっていました。(受講生H)
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