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ラカンの鏡像段階をわかりやすく解説

ラカンの鏡像段階の根本〔全体像を把握できない〕

鏡像になるというのはどういうことなのでしょうか。一つには、人は目が自分の方向を向いてないということです。この目の位置に問題があります。目がぐるぐる回って自分が見えれば鏡像は要りません。しかし、横についていてぐるぐる回るような目があるわけではないので、前しか見えず、後ろは見えない構造です。ましてや自分の鼻すらよく見えません。体も一部しか見えません。見えないところが半分以上あります。これが意味しているのは人間の全体像という概念です。全体を把握できないのです。

全体を把握できない原因はもう一つあります。人間の五知覚はバラバラです。目は光を感じる感覚器官です。耳は音(空気などの振動)を感じます。鼻はにおいを、舌は味を感じる感覚器官です。皮膚はあたたかさや冷たさ、押されたり触られたりしたこと、そして痛みを感じます。

では、皮膚で感じたあたたかさの感覚と音の感覚はどうやって比較できるでしょうか? 味と明るさ(光の強さ)はどう繋がるのでしょうか? 全部これはバラバラです。このバラバラの身体イメージが鏡像段階を作る根本です。



バラバラの身体イメージだから、手足全部が繋がっている姿は理想的姿です。しかし、自分がその理想的姿を体現しているかどうかは、自分の目で確認できません。しかし、私が他者を見る分には一挙に全体を眺められます。ということは、自分が得たい映像イメージを他者は既に持っているのです。こう捉える思考、ラカンはこれを鏡像段階の出発点にしました。

 
ラカンの鏡像段階理論〔理想自我への同一化〕

人間はそもそもバラバラの身体イメージとバラバラの知覚、要するにバラバラということです。それが統合されたイメージと、その姿を一挙に眺めることが出来るのは他者しか居ません。そこで自分の理想を他者が担っていると見たのです。

鏡像関係というのは、他者は自分の理想像に見えます。自分が欲しいものを全て体現しています。元はあれは自分が全部持っていたものだ、何で私の理想がそちら側に移行しているのだろう? きっと騙し取られたのではないか、という概念が騙取として鏡像段階の中核を成しています。

鏡像というのは、このような騙し取るというネガティブだけではなく、むしろ同一化する自分の理想像と把えたのです。鏡像の第一段階は同一化です。それも理想自我の同一化です。羨望と嫉妬、愛と攻撃がそこにあるとラカンは言いました。それに同一化すると同時にそれを破壊して自分に取り戻そうという攻撃性も含んでいるのです。取り返そうとするというのは元は騙し取られているという、その騙し取られたものこそ自分の理想的自我像だったというのがラカンの鏡像理論です。

 
主体の位置

常に自分が他者の位置に居ます。だから子供は自分がA君を殴っても「A君が僕を殴った」という言い換えが成立してしまいます。主体の位置というのが、ここで問題になってきます。完全な身体イメージの中に自我はあるということです。

これを発展させると今の自分、あるがままの自分は、ここには居ないのです。常に自我理想のところに自分が居るのです。自我理想が自分を見ています。言ってみれば自我理想というのは今です。実現した今だから。すると、見られているあるがままの私というのは過去の自分です。こういう時間逆転が生じます。

今というのは自我理想の中にあります。だから私は過去の自分を見ているだけで、自分が過去から今に辿り着いただけであって、自我理想というのは未来ではなく、今なのです。ということは、今の自分は過去と規定しているのです。こういう時間軸の逆転が起きないということは、死んでいるということです。

 

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