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無意識に行動する恐ろしさと、精神分析で書き換えられる希望!

テーマ別講座の第2回目では、嫉妬の構造を通して人間の複雑な心の構造を学べたと思います。

私たちが無意識に行なっていることはどういうことなのかを聞くと、人間はこんなことをしていたのかと、毎度驚くばかりです。

赤ちゃんと父の例、父が自らの子供時代の自我(おっぱいをいっぱい飲ませてもらえなかった、甘えられなかった不幸な自分)と向かい合うことを回避するために、父という自我を放逐して、おっぱいを好きなだけ飲む赤ちゃんの自我に同一化し、理想的な母となり、自分が自分を抱きしめているという自我の入れ替えの構造のお話は、とてもインパクトがありました。

ラカンのいう鏡像段階の自我を入れ替えるという構造を、私たちはいつもしているということ。無意識はいつも無意識の出番を待っているということ。無意識が登場しやすい状況を無意識的に作るということ。自分の失われた子供時代の理想を取り戻そうとすること。これらの話にハッとさせられました。

無意識的に行なっている行動を恐ろしいと思う反面、自らの子供時代の自我が不幸であったとしても、その記憶を精神分析(セラピー)で書き換えることができるという事実には、希望を持つことができました。

 


現実の中で「なぜ?」と思うことがあっても、答えを出せないまま問いかけ自体を忘れてしまうことがあるのですが、そういった身近な疑問も明快に先生は説明して下さるので、人間の複雑な心の構造の理解の助けになっています。

今回の講座で言えば、赤ちゃんが生まれ、おっぱいを吸うようになる夫の話と、赤ちゃんが生まれ、浮気をするようになる夫の話がこれに当たります。

この話に関連して、父が子供時代におっぱいを十分に飲んでいて、大人の男だったとしたらどうなるか、ということも教えて下さいました。

この話を受け、改めてこう思いました。自らの無意識を知り、それに振り回されないようになれば、多くの方が幻想ではなくて現実に幸せになっていけるのではないかと。

憧れ、羨望、嫉妬、この三つの違いの説明の中で、中途半端な同一化がジェラシーだということを学びました。最終回は「嫉妬を超えて」をテーマにお話して下さるとのことですので、次回も楽しみにしています。

【関連コラム】
⇨【フロイトの発見】人間の中心は無意識で、意識は氷山の一角だった!
⇨ ラカンの鏡像段階をわかりやすく解説

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