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PTSD(心的外傷後ストレス障害)のセラピー│依頼したのは、記憶喪失と幸せ

セラピーでの診断はPTSD(心的外傷後ストレス障害)でした。とは言っても初回面談でいきなりPTSDだと告げられたわけではなく、セラピーを始めた当初は自分にトラウマがあることさえ自覚していませんでした。強い恐怖があり、そのせいで自由に動けないということは自覚していました。だから、私の記憶の中にある恐怖体験が消えてほしいと、そう私は思っていました。私が恐怖に感じている人の顔さえも忘れてしまうぐらいになれれば楽になれる、そんな風に思っていたのです。先生にも「記憶喪失にして下さい」と依頼しました。

他にもう一つ先生に頼んだことがあります。それは幸せになりたいということです。私は幸せを目指していたのに、辿り着いた先が不幸だったという経験を持っていたので、自分の力では幸せにはなれないことを知っていました。加えて「幸せな人は人を幸せにできる」という言葉を持っていました。先生は真に幸せな人だったので、この先生なら私を幸せにすることができると思い、「幸せになりたいです」と依頼したのです。

目次

精神分析って何? 何を話せばいいの?

セラピー(精神分析)を受けるのは初めてだったので、最初は何をしたらいいのかさっぱり分かりませんでしたが、受けながらセラピー(精神分析)とはどういうものなのかを掴んでいき、クライエント(セラピーを受ける者、被分析者)である自分を作っていきました。

まず何を話していいか分かりませんでした。精神分析家が求めている情報が何なのかが分からなかったのです。先生からではなく、クライエントから話しはじめるものだということが段々分かってきたので、何でもいいからとにかく話して、先生が何か質問してきたりしたら、そこからは先生にお任せすることにしました。

何と尋ねたのかは忘れてしまったのですが、何かを先生に尋ねたら「何でも話すのが優秀なクライエントだよ」という返答を貰ったことがありました。

「何でも話すのが」と言われても、こんな事を言ったら馬鹿にされるのではないかとか、笑われるのではないかと思うようなことは言いたくありません。言ったら弱みを握られるような気もしました。でも言わなければ幸せになれる自分を失うことになります。話したくないことを話すために、私は次の言葉を思いつきました。「もし先生が私を傷つけるような態度を取ったら、先生は偽物のセラピストだということだ。先生はその現実を突きつけられることになる。傷つくのは先生の方だ」こうして抵抗を取り、言いたくない事も言うことができました。実際に先生に傷つけられたことは一度もなかったので、先生をより信頼できるようになっていきました。

次第に、先生に協力したら、もっと幸せになれるのではないかと考えるようになり、講座で学んだ知識などを使ってあれこれ試してみることにしました。

実際に講座で学んだこととやってみて良かったこと

【学んだこと】
言葉の入力→ブラックボックス→言葉の出力。
人は自分の見たいように見て聞きたいように聞く。

・分かったこと
先生から言われた言葉を、先生が伝えようとした通りに受け取ってない可能性がある。

・やってみたこと
セラピー中に「こういうことを始めました」などと報告する形で、先生の言葉をどう私が受け取ったかを伝え、先生に私の心をより知ってもらうことを心掛けました。そうすることで、私がより誤解なく受け取れる言葉を先生がくれるようになると思ったからです。

先生の言葉を誤解して受け取り、自らが捏造した言葉をもとに行動している可能性もあると思ったので、正確に自分の居る場所を教えてくれる先生の言葉により耳を傾けるようにしました。自分の理解と先生の言葉にズレがないかを常に確認し、時に修正しながら進んでいきました。この方法により回り道を避けることができ、最短ルートで進むことができたのではないかと思います。

【学んだこと】
正しい養育(24時間態勢、all ok、適切な世話行動など)

・分かったこと
当然受けるべき母性的世話を私は全く受けていなかったということ。

・やってみたこと
24時間態勢の欠如を埋めるべく「24時間クライエント」で居ることにしました。セラピーの時間以外もクライエントであると規定したことで、セラピーの時間→セラピーとセラピーの間の時間→セラピーの時間→セラピーとセラピーの間の時間→……という規則正しいリズムが生まれました。そして段々と自分でできる事とできない事の区別もついていきました。

自分でできない事は先生に頼りました。中立的な視点で自分を見ることや、それを言語にすること、トラウマやコンプレックスの言語化、自分の欠如や理想の自分を言語にすること、他者からの賞賛などによる心的エネルギーの備給などです。

逆に、セラピーの時間だけでは変われないものもあることを知りました。それはセラピーとセラピーの間の時間に行いました。主に欠如を埋める運動(理想の私に向かう運動)です。自分を母と子に分裂させ、理想の母の子になることで欠如を埋めたり、他者を母と見做して、その人から自分が欲しい言語を摂り入れたりしました。また、真理を学びたいという思いが強く、それを学べる自分になりたくて、そのための勉強もしました。

終盤にはセラピーとセラピーの間の時間にトラウマやコンプレックスから解き放たれるという体験もしました。事前にセラピーで言語化してあったことが、欠如が埋まったことで受容できるようになり、感情が出せたのです。何時間も泣き続けた時もありましたが、涙を流してスッキリし、それを終わらせることができました。また、これまで絶対にセラピーの時間にしか出てこなかったような奥深くにある記憶が、セラピーとセラピーの間の時間に出てきたこともありました。

【学んだこと】
言葉の力

・やってみたこと
理想の自分に向かう運動をしなければ変われないと分かっていても、めんどくさいとか、やりたくないとか、楽したい(自分は何もしなくて他から与えられたい)と思い、行動に移せない時もありました。そんな時に使っていたのは言葉で自分を動かすという方法です。その言葉は先生から言われた言葉だったり、講座で学んだことをベースに作り出した言葉だったりしました。

先生から言われた言葉で繰り返し使ったのは「今度は報われる」「遜色ない(正しい母に育てられた人に見劣りしない自分になれる)」の二つです。この二つの言葉で何度も何度も自分を鼓舞し、動けない自分を動かし、くじけそうな自分を立ち直らせました。

講座で学んだことをベースに作り出した言葉で効果的だったのは「意識的には嫌だとかやりたくないと思うけど、無意識では私はこれをやりたいし好きなんだ」です。

講座で「快が不快に、不快が快に倒錯することがある」と学びました。また、「いい悪いはない」や「活かせるものは活かせばいい」ということも学びました。これらをベースに作ったのが上の言葉です。好きでないものを好きだと思い込ませることは、子供時代からよくしていた得意技でした。この得意技を逆の経路で活かしたのです。

PTSDのセラピーを受けた私が最近思うこと

「先生のセラピーって実は物凄くクライエント思いのセラピーなのでは?」と最近思うようになりました。というのも、最初に書きましたが、そもそも私は記憶喪失になりたい人でした。振り返ってみれば、セラピーを受ける前から既にそこを目指していたと思います。私は不幸な記憶など無かったことにしたくて、その記憶を塗り替えるために、幸せを目指してひたすら突き進んできました。生まれた環境で人生が決まるわけがない、親がどうであれ、私は絶対に幸せになると。

しかし、意識上の思いとは逆方向の場所に私は行ってしまったのです。意識だけでは運命を変えることが出来ませんでした。それが出来たのが先生のセラピー(精神分析)です。「運命が変わる」という言葉は知っていましたが、本当に運命を変える方法があるとは!

PTSDの治療は辛い外傷記憶とだけ向き合わなければならないイメージがありました。しかし、実際のセラピーは違いました。

先生は外傷記憶ではなく対象aなるものに、私の目を向けさせてくれました。ここで言う対象aとは、理想の私のことです。それを先生が提示してくれました。それは理想の私なので、クライエントである私は、その対象aなるものに、どうしてもなりたい!と思います。そしてそこに向かう運動をします。運動をすると理想の私に段々と近づきます。すると、切り離していた外傷を被った私が、私の元へと帰ってきたのです。その時に私はそれを私だと認め、受け容れ、書き換えることができました。理想の私になったことで、切り離していた私を受け容れることができたのです。トラウマやコンプレックスを、対象aに向かう障害物の位置に置いたことで、それらを進んで解消しようとする自分が生まれました。

セラピーを受ける前は、記憶を上塗りすることで傷を消そうとしていました。しかし傷は消えず、あろうことか最も避けていた場所へと、私は連れ戻されてしまいました。心的外傷を被るとそういう運命になってしまうということを、身を持って知らされました。

心的外傷を被った私は、もう二度と辛い思いや、恐い思いはしたくないと思っていました。もし先生のセラピーが外傷記憶と向き合いなさいというだけのものだったとしたら、私は絶望し、とうに生きることをやめていたのではないかと思います。

生きる希望と幸せがこのセラピールームにはありました。私は今、希望を持って生きています。

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