《 gift 》徒然草-147
人間は長い歴史をかけて、「晴れ」がましい時を送る形式を持つことで、日々の退屈な繰り返しに耐えているのだ。そして、その祭りの後の無礼講こそ、エスの解放である。抑圧と解放の形式を、祭りという人間の生きる喜びが表現できる様式につくり上げた事なのだ。これを文化という。
祭りのテーマは神と人との交流である。神は勿論自然・宇宙である。星と地球を構成する、地、水、火、風、空の五大と、その現象を創り出す神の力の下に、額づく人が織り成す儀式こそ、神と人とが一体になれる瞬間である。そう規定したのが祭りである。
祭りで欠かせないのが、供物である。神への貢ぎ物である。神が創り出した野菜、魚、肉などを供える。それは他ならないそれらに依って我々人間は生かされているからである。養われ、育てられている人間は、その生命を創り養い育てる自然の中に御座す神に向かって感謝の意を表わす形式にして、供物を奉げるのである。
人間は神に依頼して命を授けて頂いたものではない。気がついたら「私」が居て、この時代、この星に居ることになり、日々地球の回転に合わせて昼夜巡りながら生命活動を営んでいる。唯それだけの命なら動物や他の生物と何ら変わらない。人間は神からの贈り物である命に対して、私も神と共に在り、かつまた私も神になりたいと願う。その形式こそ他者へのgiftである。私が神になって他者に贈り物をする。私は未だかつて、人に贈り物をした事がない。