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ブログ  精神分析家の徒然草 

《油断》徒然草-142

日常は平凡で何事もなく、いつもの日が過ぎていくなかで、人はその平和と安全に胡坐をかいて、安穏と過ごし、緊張感を失った呆然とした時を費やす。命の浪費である。

人は退屈によって心は亡び、その再生を願って日々、必要のない用事をつくり忙しく生きる。忙しいとは心が亡びることで、結局生き返ろうとしたのに亡んでしまう自己撞着に陥る。どうしたらいいのだろう。人類はこの問題を戦争と平和で解決した。



中東ではイスラエルがハマスとヒズボラ両者と戦っている。ロシアとウクライナの戦いがかすむほど、イスラエルの攻撃は激しい。おそらく世界大戦が起きたとしたら、その発火点になる殺害行為が9月にヒズボラのメンバーのポケベルや無線機の爆発によって実行された。30人以上が死に3,000人以上が負傷した。

ヒズボラの指導者ナスララ師は、イスラエルによる宣戦布告だと言い、10月1日ミサイル180発をイスラエルに打ち込んだ。攻撃の応酬が始まってしまった。もう誰も止められない。

特に国連とは名ばかりで、有名無実の骨董品と化した国連には、平和と停戦に導く力は無い。人類は対話による道を自らの欲と無知によって放棄してしまった。そして同時に安穏たる平凡な日々を失った。



9月24日の毎日新聞「火論」で大治朋子氏が寄稿している。その中で、ヒズボラの1980年代の最高幹部イマド・ムグニエ司令官のエピソードが紹介されている。

彼の日常は「マイカーを持たず、定住せず、同じ恋人と二度と会わない、捕捉不能の幽霊」と言われていた。その彼が40歳を過ぎた頃から「マイカーに乗り、同じ恋人に会い、用心深さを失い始めた」。その頃2008年2月、車に仕掛けられた爆弾で殺害された。

平凡で平和な安穏とした日々の流れのなかで、彼の中に用心という緊張が抜け、その代わりに油断が忍び込み、それで生命を失った。平和呆気が彼の生命を奪ったのだ。実に恐ろしきは「油断」である。

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