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ブログ  精神分析家の徒然草 

《自然とは》徒然草-141

2024年元旦は能登の大地震から始まった。一年の計は元旦にありと言うが、今年一番の計画も何も一瞬にして崩れさり、有るのは復旧のみである。

今年一年を目標を立てて、希望に燃え、決意を持って夢の実現に向けて心新たに仕様としたその初日、あっけなくそれを砕き、元に戻すことだけしか出来ない状況にされてしまう、この運命、いや自然の力には、何ものも抗い難く、無残にも、それを受け入れるしかない無力の人間を痛感することから、2024年は始まった。

自然はかくも非情に酷い仕打ちを人間に与えると言うかもしれないが、自然に意図はない。法則に従って現象化しているだけである。



しかし人間はその原因を追求したくなる。「何故私がこんな悲劇に出会わなければならないのか?」「何故にそんな罰を受けなければならないのか」「何か私は悪いことをしたのだろうか」と自分に問いかける。

そして「私は悪くない」と自分に云い聞かせ、「生きるしかない」と新たに人生をスタートすると決意して、前を向いて生きるしかないと、切り換えるしかない。そうして、復旧と復興に向かうのだ。

そうして気力を奮い立たせて頑張っていた9月22日、能登半島北部を豪雨が襲った。これからという矢先に、水を差すどころか、滝の様な豪雨で復興の夢を根こそぎ洗い流してしまった。無残な光景がTVに映し出され、人も埋められ流されて、犠牲者も10数名になった。



豪雨は線状降水帯といって、地球表面積からいえば、針の様な雨雲で、正に、針の穴を通すように、能登の上空を通った。又しても、自然がそこを狙ったかの様である。勿論自然にその意志も意図もないのは判っているが、どうしても意味の病いを持つ人間にとっては、そう考えたくなる。

我々人間は自然の下では、単なる一個の生物・生命でしかないことを痛感する。そして人は無力で無知なのである。そして自然に問いかけたくなる。「あなたは一体何者ですか」と。

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