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ブログ  精神分析家の徒然草 

《親孝行》徒然草-136

人には忘れられない記憶が、一つや二つは在るものだ。それは、記念日だったり、命日だったり、願いが叶った日だったりと、様々なそのシーンと共に、忘れ得ぬ日が心に刻まれている。

私にも在る。それは2005年4月25日だ。それは私事ではなく、兵庫県尼崎のJR塚口駅南の急カーブで起きた「福知山線脱線事故」である。19年が経った。106人の乗客と運転士の計107人が亡くなった大惨事である。

原因は2年後に調査結果が出て、大幅な速度超過とブレーキの遅れが直接的なものとして結論づけた。所謂人為的ミス、否故意による人災と言っても過言ではない。しかし、今となってはその原因の主である運転士が亡くなってしまっているので、不問にされている感がある。



私は当時その事故を知った時、一冊の本のタイトルが浮かんだ。それは「交通事故と無意識」である。起筆したのはそれから数年後のことで、未だに書き上げてない。筆は止まったままである。

新聞記事に接して、再び当時を想起し、書かなければと思った。この日を憶えているのにはもう一つ訳がある。それは、親孝行と言うのには口幅ったいが、親父を連れて、福島の「三春の滝桜」を観に出かけていたのである。その帰路に着く車の中で、ニュースを聞いて知った。

百人以上の死者を出した大惨事で、報道は止むことなく、伝え続けていた。その重苦しいまでの悲しみを、親父と家族一同が車の中で共有してしまった。



唯々楽しかったで終わる筈の親孝行が、擬きであることが暴露されたと、私は独り首肯した。しかし、それは親父が身を以って「真の親孝行」だったと証明してくれた、生命掛けで。

親父は四月八日、桜が満開の許、「花の下にて春死なん」の願い通り、桜の花に送られて、永遠の旅に立った。きっと三春の滝桜を思い浮かべながら、と私は思いたい。

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