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ブログ  精神分析家の徒然草 

《太陽の子》徒然草-134

この頃、透明で清爽にして流麗な文体が書けなくなった。文章が湧き上がって来ないのである。それはおそらく、人類への失望と無知への怒り、そして地球を破壊し続けているにも拘らず、それを止めようとしない絶望的状況に対しての無力感からである。人類はまだまだ続き、未来都市はパラダイスであろうとの希望を心のどこかに秘かに持っていたが、それが跡形も無く、崩れ去ってしまった。

それは、この地上から「詩」が消滅したということだ。人の心に詩情を湧立たせる「美」が消えた。世界と心の間にあった言語の美しい響きが途絶えてしまった。快適さと合理性と速さだけを求めた結果そうなった。



PCから果てはAI、AIロボットと、人間の行いと思考がAIに置き換えられていく領域が、人間生活の五割を超えた時点で、地球の主人公はAIにとって変われ、人は心を失い、物と化す。

おそらく今が、人間が人間らしく生きられる最期である。人間らしくとは、手紙を書いて思いを伝え、自らの足で逢いたい人に逢いに行き、顔と顔を突き合わせて会話をし、互いの温もりを感じながら朝を迎える。それが人間の生身の営みである。

二人の間に、そして人間と人間の間にデジタル機器の介入はなく、ひたすらアナログで接し交流できる世界でこそ、人は人たり得るのである。それは、山奥にポツンと一軒家で人里離れて暮らすことではなく、人と人とが在りのまま、思いのままに素直な心で交流することである。



現状を見ていると、結局人は何の為に、いや人類は何の為にこの地上に現れたのだろう、と思わざるを得ない。果して恐竜が絶滅したように、人類もそれと同じ道を辿ることは必至である。

違うのは、恐竜は1億2千万年生存したが、ホモサピエンスは30万年ほどしかない、その時の差だけである。その短い時の中で唯一輝いたのは、太陽の下で生きていた事である。

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