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ブログ  精神分析家の徒然草 

《双子》徒然草-131

高校時代の楽しみと言えば、期末試験が終わった後の、映画とボーリングと行きつけの洋食店で380円のハンバーグを食べることだった。今でも、50年以上経ったにも拘わらず、その記憶と味は失せることなく在り在りと想い出す。

それはノスタルジーでもなく、あのランチの高齢化社会が確実に到来した現実を目の当たりにした時、自己防衛的に、青春の象徴の一コマとして高校時代、そして初めての彼女との車でのデートで、途中寄ったカフェではなく喫茶店で過ごした誇らしげな時間を憶い出したのである。



青春の定番は、車、ドライブ、食事、カーステレオから流れるカセットテープのBGM。高速道路はなく、専ら一般道を走り、SAではなく、道の駅でもなく、ドライブインに寄るといった流れであった。

その様に、高校時代の楽しみにも定型があって、まるで強迫行為のように繰り返していた。そして飽きることがなかった。青春時代はどうしてあれほど心が輝く、何の不安も心配も無く生きていられたのか、今となっては不思議である。

省みれば、それは生きていく上で、何の責任もなく、労働の責務も重圧もなく、養う家族もなく、自分独りのお守りだけしていればいい時代なので、当然のことかもしれない、とは今思いつくが、その時は遊ぶことだけが楽しみだった。それに彼女が居れば、もうそれだけで至上のしあわせに浸れた。



何と単純な時代だったか。そんな単純明快な人生の時期は、その時以外人には存在しないのである。晩年はもしかしたら、その時代に似ているかもしれない。

家族は独り立ちし、独りになったら全く同じ状況が即ち、あの光り輝いていた青春時代が訪れるのかもしれない。たった一つの事を除けば。それは「老い」である。時間軸をはずせば、青年も老年も双子の兄弟だ。

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