《同期の桜》徒然草-128
桜は日本人の心と眼に焼き付いている、良くも悪くも。『同期の桜』は戦時中の儚くも、悲しくも、はたまた凛凛しくもある、力強いようで哀愁漂う歌である。二十代の頃、研修会でよくそのフィナーレの時に、参加者全員肩組んで輪になって力一杯声を張り上げて心を鼓舞するように歌った。
目的は一致団結の士気高揚である。私もその輪の中に居て、歌った記憶はあるが、果して高揚感をその時抱くことが出来ていただろうか。今となっては甚だ疑問である。
各々個性ある人と人が、共通の或いは同一の思考や志を持って、一つになることは可能なのだろうか。あの時はそんな心理学的又は哲学的命題など、どうでもよかったのである。どうにも状況的に成り行きの、その場の勢いという幻想で、一つになったと思うしかなかった。
連帯という幻想は人を酔わせる。あるいは麻薬のように心を高ぶらせ、熱くさせる。日常では味わうことの出来ない興奮をもたらし、至福感すら与えてくれる。
心理学でいう処の集団ヒステリーである。宗教が最もその効果の恩恵を蒙っている。孤独な人間存在にとって一時なりともそこから連れ出して、個を失って「われわれ」という自我融合した一時を味わえるなら、それはそれで素晴らしい体験である。
今はそれをLIVEパフォーマンスが代行している。音楽、舞台、スポーツ、各種イベントがそれを操作し、私という個から皆というマスに変換し、孤独から救済している。
私が人々と、国境を越え、民族の血を超えて、一つになる幻想を抱けたなら、きっと人類は最も宇宙一の幸せな生物として、宇宙の歴史に刻まれることだろう。