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「悟りを求める人へ」 格言-132

『幸福な人は満ち足りているが故に、何も求めない。不幸な人は求め過ぎるが為に、更なる不幸に見舞われる


人は日々、欠乏を充足し、その不快と不安から逃れるために欲望という名の充足運動に奔走している。それは止むことなき、無限運動である。それを止めるためには出家して、俗世を捨てるしかない。市井の人でありながら欲をすてた人を優婆塞、優婆夷と言う。

欲を捨てるには二つの方法がある。一つは総てを満足す。もう一つは、欲の総てを捨てる。所謂0か100である。

欲を満たして幸せな気分に浸れるのは、欠乏の不快に直面せずに済む唯の平穏な気分の比喩である。欲を捨てることで、その欠乏不快と不満から来る怒りから解放されて自由になれる心の獲得こそ、仏教の説く「無我」の境地である。

それを持続出来て初めて「悟り」という。それは消極的解決なのか、果して積極的解決なのかは本人しか判らない。その差異は、前者は「諦念」といい、後者を「悟り」と言う。

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