《曼陀羅》徒然草-126
地上を眺めれば、大震災の被害の凄惨な光景や不正、犯罪、戦争、詐欺、異常気象等は世界中至る所、正常も正義も真実もなく、唯あるのは私利私欲と党利党略の利己主義だけである。企業も国家も自分の利益だけを求め、民衆は唯の消費者であり、納税者だけでしかない。それ故民衆は番号を付けられて国や会社に管理される奴隷のようなものに成り下がってしまった。
そんな人間が人間にとして普通に生きていけないと思った時、私は空を見上げ、青い空の向こうの宇宙に思いを馳せる。そこには星があるだけで、何もない。意味も争いも競争も殺戮もない。暗黒と静寂と無限へと拡がっていく空間だけである。
青空には青以外何もなく、声もなく、風もなく、匂いもなく、触覚もなく、唯青があるだけ。そこに意味はない。人は差異から意味をつくる。人は思考の差異から価値をつくり、比較して競争して、優越感という名の自己愛を手にして、その喜びを生きていると錯覚する。
私の視点は、空を見上げて、この地球を離れ、宇宙旅行を始める。そこに、私という視る自我も、認識する自我も、語る自我も、善悪の自我も宇宙空間の中に映り込んで、無我になる。この時、私は意味の病から解き放たれて自由になる。
存在とか無とか、苦しい、辛い、不安、悲しみ、怒り、悍ましさから、すべての想いや言語が消滅して、宇宙と一つになる。これこそ、真言密教の究極の境地である曼陀羅の世界に、今私は居る。
精神分析家 蘇廻成輪