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ブログ  精神分析家の徒然草 

《ラスト・ラン》徒然草-123

二十数年に渡る京都出張の中で、ある時の帰路、東京駅に新幹線が静かに入線し、降車支度をしようとしていたら、ホームにこぼれんばかりのカメラを持った人達が、一斉にストロボをたいて、シャッターを切っている。

一瞬何事かと思った。きっとVIPかよほどのスターが乗っているので、その人に向けてシャッターを押しているものと勝手に思い込んだが、実はスターは新幹線そのものだった。それは、初代新幹線のラストランの最終列車だったのだ。

私は鉄道マニアではなく、たまたま乗り合わせただけで、唯の乗客にすぎない。ラストランであれ何であれ私には帰宅のための一交通手段の一機関でしかない。



引退する列車を撮ってそれが何になるのだと思いつつも、自分がスターになった訳でもないのに、不思議に何処か晴れがましい気分になる。人間の自己愛とはまことに軽薄で厄介で馴れ馴れしく、扱いに困る代物である。

これは唯の偶然である。もう一つ東京駅での偶然があった。それは「サリン事件」に遭遇した事である。

東京駅近くになり、救急車のサイレンや、消防自動車が何台も路上を埋め、消防隊員が多勢蠢いていた。大変な事態がそこに在ることは判ったが、それが何なのか、帰宅し、TVのニュースをみるまで判らなかった。その時、私は現場近くに居たのである。



偶然であり、必然な出来事の遭遇に、もう一つある。それは、2011年3月11日に起きた東日本大震災の仙台の現場に居て、あるとてつもない揺れをホテルの7階で体験しているのである。

1000年に一度と云われる大地震に遭ってしまった。これも偶然であり、出張だったので、月日と時間は決まっていたので必然になる。

人生は偶然と必然の織り成すタペストリーのようなものであり、良い事もあり、そうでない事もある。願わくば、良き出会いに遭遇したいと思うのは人情だが、そもそもこの世に偶然はあるのだろうか。法則の世界の物理学的現象にそれは無いのである。

 

精神分析家 蘇廻成輪

 

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