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ブログ  精神分析家の徒然草 

《誕生日》徒然草-119

家族に異変が表れた。その一つに娘の身体症状だった。家人や息子にもいつもと違う事態が生じたが、いずれも事なきをえて、心配まで至らなかった。生きている限り、色々な事が起きる。

私の格言に「全ての事が起こり得る」がある。人智を尽くしても、到底この世で起きる事象を予測することは出来ない。それを人は想定外と言うが、そもそもこの世の現象を予知したり、説明することは不可能である。

何故ならこの宇宙を創造したのは人類ではないから。その設計図もコンセプトも知らない、誰かの手によって作られたこの世に棲んでいる事は、偶然の出来事なのだから、すべての現象を理解することなど有り得ないのである。



一寸だけ科学で解明できたと人は言うが、それは宇宙の数%を知ったにすぎない。それでも人は考える。何故この様な事が生じたのか、その原因を突き止めようとする。

そこで私もその原因を考えた。その思考を何に依ってすればいいのかから始まる。数学、物理、医学、占星術、それとも宗教か、超自然科学によって考えるしかないのか、とあれこれ想い巡らして行き着いたのが、直感である。

ふと頭に浮かぶ事を掴み取って、それで考えることにした。それは霊のお知らせという発想である。何度か、超常現象は体験した。虫の知らせとか、昔から云われているそれである。

霊らしきものも見た事があり、UFOも見た。それが確かにUFOであるかの証明は出来ないが、確かにこの眼で不思議な光を夜空の一画に見た事がある。



すべての事は、見た人の主観と知覚であって、それを第三者的に科学的に証明することは出来ないが、本人は確かに見たのである。その地点から家族の身に起きた事を総合的に把えて判断した時、「母の誕生日」という言葉が出てきた。

現象は11/15~23の間に起きた。母の誕生日は11月28日だった。命日は2月28日で墓参りをしていたが、誕生日は思いもつかなかった。母が生まれなければ、私は居ないのだから命日よりは、誕生日こそ祝うべきで、因みに母は生誕98年である。

 

精神分析家 蘇廻成輪

 

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