《唯一無二》徒然草-118
遂にはち切れんばかりにふくらんだ頃、家路に着く。それを母は、一匹一匹足をちぎって胴体だけにして、佃煮にする。それが食卓にのぼり、苦みもありながら、甘く濃密なそれとしょう油の辛さが絶妙なバランスで染み込んだバッタを口に運び、見た目の残酷さも忘れて舌鼓をうつ。食感もカリッと音をたて、あられを食べているような感覚を持ちつつ、舌は次々にバッタを求め、箸は止まらない。これが私のお袋の味である。
勿論これだけではなく、最もお袋の味を代表するのは「金平牛蒡」であるが、味は田舎の素朴な、しょう油と砂糖に油で炊いたのか、炒めたのか、煮たのか、その料理は定かではないが、到頭家人がその味を引き継げなかったのが、母独特なレシピが書けない作り方であったことは確かで、秘伝といえばそうかもしれない味であった。
高がキンピラゴボウだが、されどキンピラコボウは先祖伝来の年期の入った味なのである。親から子に、子から孫に伝承されてきたその土地と文化の国土で培われてきた祖先の味と生活がそこに含まれた味だから、再生出来ないのである。
そして赤飯もその一つである。お祝いがある毎に、祭りや目出度い事があると、すぐに赤飯を炊いた。作り方はシンプルだが、餠米と小豆の炊飯なので、難しい技も秘伝の味つけも全く不用なのに、これ又キンピラ同様お袋の味は伝承されなかった。未だに、お袋の赤飯を超える美味しいそれに出逢った事は。
唯一無二の味こそ、「お袋の味」と呼べるものではないか。他の人が食べたら美味しいと思わないであろう。しかし、私にとってお袋は唯一無二の存在だから、美味しくて当たり前なのだ。
精神分析家 蘇廻成輪