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「愛は食卓にある」慈母による愛ある食事は美味しい

障がい者施設で働いているAさんとお茶をした。

その施設での話。
必ずご飯を残す子供がいて、普通に食べれる量を食べないという。

しかし、先日Aさんが担当したとき完食した。他のスタッフからどうやって? よく完食させられたねと言われた。そういえばその週、食事の介助した子供たち全員が完食だったことに気づいた。友人は何故だと思う? と。

私は、「Aさんは、キューピーじゃないけど『愛は食卓にある』だったから、おいしくて完食できたのかな」
Aさんは日々目的をもって、食事でいえばどうしたら食べてくれるのか? と常に考えていると言う。



子供たちの淋しさが痛いほど判るから、二人きりになったときは、「今日も会えて嬉しい。大好きだよ」と必ず手を握って言ったり、乱暴な子や反抗する子もAさんの言うことは何でも聞くという。
聴いていて、「慈母だね」と私はつぶやいていた。

子供たちは、やさしい声と温もりとまなざしを向けられ、愛ある食事を共にしている彼女との空間が心地いいのだろうなぁ。

おこがましいけどつい「毎日成長しているね」と言うと、「私もそう思う」そして「私は慈母になりたかった。さっき言ってくれて嬉しかった」と。
Aさんの変容ぶりに、もう会うたび感動しかない。

Aさんは、精神分析を受けて「生きる力」を手にしたのだと思った。
精神発達論でいう基本的信頼の獲得がどれだけ重要か、それが生きる力、自分を信じる力になるんだと、つくづく実感した。

愛は信頼だ、そう思ってハッとした。食事も介助してくれる人を信じてないと、確かに怖くて食べれない。任せられない。子供たちはAさんを信じ認めたからご飯を食べたんだと。

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