自己愛の傷付きとは
人間は逆説的な形で自己愛を受け取ります。
確かなものでは無いけど、自分はこうだったという痕跡を、否定や傷つきによって、
逆説的に自己愛を受け取る、無傷では受け取れない構造が人間です。
逆説的とは、否定されたことで、自分がどういう言葉を自己愛として持っていたかが見えるということです。人は、自己愛を逆説的に受け取ることしかできないのです。
例えば
お母さんに冷たくあしらわれたとき、愛されたい欲望が逆説的に見えてきます。
「抱っこして欲しかった」
「おもちゃが欲しかった」
「ぎゅっとして欲しかった」など、心にずっと残ります。
優しく愛された人は、満足があるだけで欲望はありません。
ずっと心に残ったその思いが、欠如であり欲望です。
否定されることにより、欠けて無いことを知ります。
無いことに気付くと、「欲しい欲しい」と思います。
この欲しいが欲望です。
これは愛された満足から出た欠如「もっともっと」ではなく、そもそも最初からなかった丸ごとの欠如「欲しい欲しい」です。
このときに初めて、自分は愛されたい欲望があることを知ります。
「愛されたい愛されたい」と言葉にできない言葉が、反応してしまうのです。
否定により愛されなかった自分に気づくため、否定の言語に反応し、傷ついてしまいます。
だから傷つかないと自己愛に気づかない、否定され傷つき初めて判るのです。
自分はそれを守っていたのだと、自己愛とはそういうものなのです。
叶わなかったことで、欲望を受け取る。
欲望を欲望として認知できない、とてもややこしい存在が人間なのです。
生きづらいのは当然です。
他者の否定の言語はきっかけでしかありません。
それを自分の欠如と関連づけて価値をつけてしまうことが、自己愛の傷付きなのです。