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ブログ  精神分析家の徒然草 

《 パンダ 》徒然草-176

上野動物園の2頭のパンダが2026年1月27日に中国に返還されて、日本から居なくなった。パンダの何があれほどの人を熱狂させ、見たいと長い行列をつくるのか。私が講演すると言っても誰も来ない、来てくれるのはクライアントのみである。

それに比べ、何の才能も知力も言葉もしゃべらず、唯歩き回り、転げ回り、ムシャムシャと竹の葉を食べ、寝ころがっているだけなのに何万、何十万、何百万人の人を魅了し、感動させ、喜ばせ、至福に至らしめる。再度問う。パンダの何が、人を惹きつけるのだ。私には到底理解不能である。パンダに対面した人は異口同音に「かわいい」という。



何が、どこがとききたくなる。私には動物の唯の生態としかみえない。パンダについて知っていることがある。出産後の飼育員の数が8名居るということ。人間は母とせいぜいその父と祖父母の、多くて4名から6名である。とても8名は揃わない。

一つだけいえることは、人間よりパンダの方が特別待遇であること。8名の養育スタッフをもって一人の赤ん坊を育てたなら一体どんな人間になるのか、非常に興味をそそられる。

パンダには理想的養育環境が整っている。だが、人間には全く不備なまま、母親だけに重くのしかかったままなのが、今の子育て環境であることは事実で、何ともパンダが羨ましくなる。そんな養育環境で人間の子も育てられたら、どんなに幸せだろうという想像を禁じえない。

人間以上の世話を受けている羨望のパンダという投影は出来ても、かわいいパンダに会いに行く気にはならない。人はパンダに何を見ているのだろうか。



パンダに限らず、動物は等しく、大きさに関わらず、皆かわいいと口を揃えて言う。そんな自明の理といえるほど、普遍的視点を、人はどうして持っているのだろうか。ラッコだって、ハムスター、パンダでも、カピバラ、フラミンゴ、犬、猫、魚ですら皆等しく可愛いと言う。

分析的に言うならば、等しく動物は、シニフィアンを生殖と自己保存以外に使わないからである。それは何を意味するかといえば、妄想がないということである。他者の思惑を妄想しないのが動物である。捕食と生殖行動以外に想像界は働かないこの純粋さを、人はかわいいと思うのである。

それと騙しと欺くがないのが動物である。そこに人は安心と安らぎを感じる。裏切りもない。唯々、生きている、あるがままに。その姿を無邪気と思い、擬人的に接するのが人間なのである。それほど人は人間に疲れているのである。

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