《 ノーベル賞再考 》徒然草-175

ノーベル賞はとれないが、人生を楽しく生きるノーベル享楽賞は毎年受賞している。人類に貢献した研究だけが評価されるが、人生を楽しく生きる法則を明らかにしたことへの賞があってしかるべきだと思う。
人間にとって最も幸福な事への法則を見出した部門こそ、最高のノーベル賞だと思う。しかし、それは科学として証明できない為、除外されている。

社会といわれる、そのシステムを構成している人々は、科学以外に信じる術を持っていない。私が発見した幸福に生きる三ヵ条の数値化も、物理的証明もできない。唯の言葉でしかないから。
言語は思考の元素。その元素の組み合わせが言葉と文章である。人間を動かしているのは言葉と文字である。アルファベットやいろはの元素によって単語が生まれ、その繋がりが文章となって、言葉となり、人は語り行動する。宣言し決意し実行するのは、言語の物質化でしかない。
科学と同じ構造であるにも拘らず、元素が文字という平面の二次元に在るため、物質化扱いされないが故に、科学として認められる文字元素は、社会的承認を得られない。市民権を得られない言葉の元素である文字は、不遇にも私生児のまま、認知されずに排除されている。

科学の範疇に入らない言語は、どうしたら社会に認知されるのであろうか。科学がどれほど進歩しようと、人間の幸福が保障される訳ではない。
医療や工業・産業等の分野ではめざましく役立ち、貢献している様が強調されるが、便利に快適に、そして治療効果が表れることで長生きできることが即人間の幸福だろうか。
私が私自身の人生を「しあわせ」といえる言葉を吐けてこそ幸福というものではないだろうか。