《 見えないもの 》徒然草-172

ドジャーズがWCを連覇した。これはチームプレーによる勝利だという。スポーツは二つに大別される。一つは個人競技。一つはチーム対戦競技である。人生もまた、個人かチームかに別れる。

職人や芸人、科学者、数学者、哲学者、作家などは個人プレーである。純粋な意味で、全く一人で成り立つとは云えないが、一応個人の才能という視点からいえば、芸術家もこれに含まれる。一方会社、企業、店などはチームプレーである。
私にはこのチームプレー意識が全く欠落している。百姓の家に育ったので、共に助け合いながら農業は行わざるを得ないのを見ている筈なのに、その心根が植えつけられなかった。むしろ協働して働くチームワークに個の不要をみてしまったかもしれない。集団は個を否定し、抹殺して成り立つ為、自己主張の罪悪を学んでしまい、個に走ったのかもしれない。

私はこうして超個人主義のエゴイストになり、糖尿を病むことになった。皆で考え、皆で助け合って、一つのことを共に成し遂げていく、チームワークの楽しさと喜びを学ぶことが出来なかった。すべてのことを独りで考え、独りで誰に相談することなく、助けられることもなく、自力で生きてきた。
事実は多くの人や物、組織に、見えないところで助けられて来ているのに、それに気付かないほど、エゴイストになってしまった。ここで憶い出されるのが、日本語の金言である。それは「お陰様」である。人は結局目に見えない何かによって生かされているのだ。