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ブログ  精神分析家の徒然草 

《 禁止 》徒然草-170

イスラエルとガザのハマスの停戦が実現するかどうかの瀬戸際に立つ、世界平和は、果たして現実となるのだろうか。そんな所、2025年10月16日の毎日新聞の投書にこんな事がのっていた。

「対人地雷禁止 地道な努力に期待」そしてそれをクラスター爆弾と共に「悪魔の兵器」と呼ばれるのが対人地雷だと言っている。これを読み、呆気にとられた。地雷が悪魔なら、人類80億人を一瞬に滅ぼす核兵器は悪魔でなくて、何と呼べばいいのだろう。悪魔以上の最悪の文字があるのだろうか。

対人地雷を禁止とするとは、それ以外の他の兵器はどうなるのか。ミサイルや大砲、爆弾は使用可ということになる。禁止という言語が冠につかないから。



思えば、おかしな話である。そもそも戦争が容認されること自身、平和と矛盾するのに、人類は大きな誤りと過ちを犯している。どうしてミサイルは良くて、地雷は禁止なのだろうか。全く理解に苦しむ。合理性も論理性もない。唯の矛盾である。

人間は、平気でこの矛盾に目をつむる。見ようとしない、向き合おうとしない。平和は唯の空念仏なのか。

地雷がとりわけ子どもたちに悲惨な被害を及ぼしてきた事を理由に、禁止することの合理性を訴えているが、では、ミサイルによる大量破壊と殺人は許されるのか。地雷よりもっと悲惨な光景は、イスラエルの攻撃とあるがガザの惨状が見せてくれているではないか。



病院、学校をターゲットにミサイルを打ち込み、多数の犠牲者をとりわけ、子供達と病人、それに医師達が犠牲になっているではないか。地雷は避けようがあるが、ミサイルに対しては無力である。

防ぎようがない。その兵器を容認し、避けられ、撤去できる地雷には対抗しようがある。なのに、これを禁止するとは、何を考えているのか、又しても不可解に陥り、人間に失望せざるを得ない。

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