《 至上の楽園 》徒然草-165

様々なアプリがあるが、ほとんど使うことはなく、唯一使っているものがある。それはニュースと歩数計に天気予報である。
中でもニュースはつい見てしまう。どうしても興味のあるものをクリックしてしまうと、AIは私の嗜好を読み取り、そればかり送ってくる。ある時、車の話題にクリックしたら、車の情報が増え、次に時計の広告をみて矢張り押してしまったら、時計ばかり入って来る。

そして、次にオーディオの話題に思わず「記事を読む」を押したがために、又してもオーディオの紹介が次々と入ってまたこうして私のニュースの記事は、車と時計とオーディオの新商品が掲載されるカタログフォンになってしまった。通常の社会ニュースは入らなくなった。
こうしてみると、自分の趣味は狭い範囲のものでしかない事に気付く。もっと広く多様な関心と興味を持っていいのではと、反省したくなる。
そう思い、視野を広げようとしても、スマートフォンでは広げようがなく、新しい情報が入るまで、何にもクリックせずに放置しておくしかないようだ。もっと世界は広し、未知な物事は星の数ほどありそうなのに、私は三つしかないのだ。

他に何があるだろうと内省してみるが、分析と音楽、それに曼荼羅ぐらいしかない。真言密教の描く曼荼羅の世界に身を置き、独り瞑想し、宇宙と一体になること、車と一体となって自然の中を駆け巡る事を至上の幸福と感じるのが「私」なのである。
人各々に私を持ち、世界に対する関心を持ち、それを手に入れ、新たな追求心で、更なるもっとより良い物を求めて生きている。文明もそうして進歩し、科学と技術を進化させ、発展させて来た。その結果が、気候と自然の破壊をして戦争による無意味な殺戮である。それが人類が目指した至上の楽園だったのか。