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ブログ  精神分析家の徒然草 

《 あの日 》徒然草-155

又しても韓国大河ドラマの『ホ・ジュン』を観てしまった。2000年制作の配役も脚本も違うが、ストーリーは大筋同様で遂観てしまうが、その中で心医・師匠から問われた台詞が心に残ってしまった。それはホ・ジュンに向かって「人の生命を救う資格は何だ」と師匠は問う。

それは同時に私に問いかけられた言葉として受け止めてしまった。私は何と答えるだろうと考えた時、浮かぶ前に師匠が言った「人を憐れむ心を持っているか」であると、一喝した。

勿論この憐れむは、憐憫の情ではなく、賞美する、愛する意味であり、気の毒や同情、哀しみの眼で見ることではない。飽くまで人間の生命の尊厳と個の尊重の許に患者に接する「アワレミ」である。



分析者の心得と全く同じである。ドラマの中でもそれをホ・ジュンに諭していた。

改めて自己に問いかけた時、即座に答えられたとしたら、私はこう答える。「生物学的生命はとまれ、心の救済に必要なのは、無心である」と。あらゆる偏見と欲を断ち切ってありのままにクライアントを見て、向き合うことが救済の第一歩である。

その心掛けの許、私は32年間セラピーして来た。一点の曇りも迷いもなく、真理をクライアントの心の裡に見い出し、それを言語にし、それを伝え、その真理の言葉の力で治療へと変容させていった。



セラピーは知っただけ、分析しただけでは何の要もなさないが、その言葉をクライアントが受け容れた時、変容が起きる。これを気づきと言う。それ故分析は別名「気づき療法」と言われるのである。

それまで無知だったり、拒絶していた言語を主体に取り入れることはクライアントの内的世界では革命であり、奇跡なのである。無知を知に、拒絶を変容に変える力を、人は何度かその機に接する。果たしてそれを生かせるかどうかが人生の分岐点になる。

その言葉を「私の人生を変えた一言」と皆それを宝物のように持っている。私のそれは「あの日の勇気を忘れないで」である。

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