《天国》徒然草-138
その時「ああ、又一日が始まるのか」「何か好い事ないかな」「だるいな」「よし今日も頑張るぞ」「行きたくないなあ」「気が重いなあ」「楽しみだなあ」とか、毎日様々な想いで目覚めの朝を迎える。
何の為に目覚めるのか。自我理想の実現のため。幸せになるため。世の為、人の為に役に立つという使命感に依って、金を儲ける為、生き甲斐になっている仕事をするため、好きなゴルフや趣味をするため、楽しい旅行に行く為、いつもの仕事に行く為、唯何となく朝を迎えてしまった為に人は生きる。とまれ、目覚めた限りには生きる。何が何でも生きるしかないのだ。
どんなに地球が温暖化によって棲みづらく生きにくくなっても、人は生きている限り、生きていかなければならない。
地球も病んでいる、人も病んでいる。当たり前で何でもなく普通で平凡で平和な時は、もう地球上には一瞬も存在しなくなった。毎日無事でいられることは、奇跡と言っていい。こんな地球に誰がした。それは人類だ。ホモサピエンスという人間がそうしたのだ。
聖者達は、この地球上に楽園を創ろうとした。平和で自然豊かで、人々が愛に溢れて暮らすことの出来る、天国を建設しようとした。そのために世界中に神々が祀られた。日本には八百万神が鎮座し、国と人々を守っている。
いやそもそも守らなければ、守ってくれる人が居なければ、この地上では生きていけない事を、八百万神は語っているのだ。だから日々朝を迎えられることは奇跡なのだ。