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ブログ  精神分析家の徒然草 

《泪》徒然草-121

2023年11月26日のGI・ジャパンカップレースを観た。日曜の午後3時30分は競馬のLIVE映像が目に飛び込んでくる。8万人を呑み込んだ東京競馬場の群衆は一体何に熱狂しているのだろうか。私は何に惹かれてそのレースを観ているのか。

敢えて言うならば、私の愛車のエンブレムが跳ね馬であるから。それも単なるこじつけで、何の理由にも、説明にもなっていないのを承知で、何となく一つのある種の美しい風景を眺めるようにその画面の映像を観賞している。



いよいよスタートした。ガラス細工のような細い足が、軽やかに飛ぶように馬場を蹴って、時速68kmで鮮やかな緑の草原を疾駆していく一群の馬の隊列は、危うさと気高さの貴品を備えた帯のよう、風中を天馬の如く流麗に駆け抜けていく。その姿に私の愛車を重ねる。

言葉にならない美しさが疾走している。私は馬を見ているのではないことに気付く。現実の馬は一馬力だが、私の愛車は500馬力である。その500馬力の咆哮は甲高く耳にも体にも、そして心にも響く。それはオペラ歌手の唄声のように美しく、感動させる。

今TVに映っている馬も、走りも毛並みも、その人馬一体になっているジョッキーの姿も美しい。そこには、力とスピードではなく、美の疾走があった。この時気付いた。8万人の大観衆は、馬券を買うためにここに参集したのではなく、疾走する姿を見に来たのだ。



絵画や彫刻などの芸術の美は、すべて静止した美しさである。時間を伴う芸術は、実はサラブレッドの走りと音楽だけである。これを時間芸術という。時空を伴った美の表現は音楽しか私は知らなかった。

時間空間で表現されるものには、体操、フィギア、飛び込み、アーティスティックスイミング等のスポーツが主体だった。実はその一画に競馬があったのだ。2分弱のパフォーマンスの短い曲だが、何と美しいことか。

TVは突然、優勝馬の調教師を把えた。彼は、その馬と共に、地下道通路を歩きながら、泪をハンカチで拭っていた。私は直感した。優勝したことに喜び泪したのではなく、きっとあの美しい走りに感動して泪したのだと思いたい。

 

精神分析家 蘇廻成輪

 

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