《私の友人》徒然草-115
兄は車に興味を示さなかったが、私はとに角、毎日のように乗った。となれば、自分の車が欲しくなり、親にせがんで新車の軽を買った。SOLEXツインキャブの黄色い車だった。
その車を皮切りに私の愛車遍歴は始まった。現在まで一体全体何台乗り換えてきたか判らないが、一つだけハッキリしている車がある。それは1996年5月に購入した、生涯共に過ごすと決めたPORSCHE 911 Carrera 4、コードネーム964を乗り続けていることである。5万kmの中古車だった。爾来27年間乗り続けて来た。そして遂に2023年8月7日20万kmに達した。
964をショップで見た時、直感で生涯共にする車に出会ったと判った。果して、27年間直し直し乗りついできた。長い時は一カ月以上修理工事に行ったままの里帰り ―私は工場入庫をそう名付けた― をすること何度か。
それでも修理して今日まで共に居る。乗る時よりも眺めている時の方が遥かに多い今日この頃だが、それでも964への愛着と、素晴らしいハンドリング、四駆のアクセルとタイヤが直結したトラクションに、空前絶後の直進性は、他に並ぶ事は無い。その他に類を見ることの出来ない孤高の存在の車が、964なのである。共に生き遂に20万kmに達した。これからも共に過ごす。
そう思わせるのは、964は生きているからである。機械として性能を維持していることではなく、油冷のため、後のエンジンが前のオイルラジエーターまで、パイプが車体の下を通り、運転席の下で、オイルがドクドクといいながら、行き来する音は、正に血液の流れそのものである。私は、その余りに人間的構造に類似した964を唯の車とは思えないのである。
だから、まるで一人の人間と接しているようで、正に私の友なのである。
精神分析家 蘇廻成輪