《天空のピアノ》徒然草-112
世界情勢も自然災害も、事件も全く私が知る必要のない事で、それを見ることも知ることも、私の生活に関わることは、直接にはない。間接的に、物価高や制度、法律、税金、光熱費の高騰といった生活費に関わることばかりだ。それは通知の郵便が来る。
全くメディアのニュースや情報を見て、知って、覚える必要は無い。無くても生きていける。それも静かに穏やかに生きていける。人生の最高の仕合せは、穏やかに、信じ合える人とひっそり生きていくことだ。
私は関東平野の片田舎ならぬ辺鄙な町の片隅に住んでいるが、生活に不自由することはない。そして剰え平和だ。ミサイルや、砲弾が飛んで来る心配もない。この地球上で、今最も平和で豊かさに恵まれた国に住んでいる。芸術にも、いつだって触れることが出来る。
ところが、四千mの高地の学校に赴任する音楽教師の願いに応えて、ピアノをその学校に運ぶという番組を観た。その小さな村はどうやって暮らしを立てているのか判らないが、村長さんがいて村があり、一つの村共同体を形成していた。
全くの閉鎖的コミュニティーに、ピアノという珍客が訪れたのである。村人は誰一人ピアノを見たことも音を聴いたこともなく、試し弾きのピアノの音に、皆驚いていた。その驚きは、何なのだろう。未知との遭遇による衝撃は、感動なのか。私はそれを想像することが出来なかった。
私はこれから出逢うことの出来る「未知」とは何だろう。想像もつかない事が起きた時、私はそれを何と受け止めるのだろう。それが今の私の「未知」だ。
精神分析家 蘇廻成輪