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ご相談者様の声 

無知は罪を作る!|愛着を知らない私が母になった

6年半前のセラピーで、先生がその時の私を規定した言語は
「私のコンプレックスには、分離不安がありません。何故なら、私には全く愛着がないからです。愛着とは引っ付いた経験があるから、離れることが不安になる。だから、私には飢えがありません。私は、愛着を知りません。私は分離不安も知りません。認めたくなくて、誰にも知られたくなくて、防衛して無いと言えなくて、分離不安があるとうそぶいていた。かのように振る舞っていた、ふり名人です。何故なら、無視されるのが何より恐いからです。見捨てられた人だからです。それが、私です」
これを書いて部屋に貼った。

こう規定されたときは、これが私? そうなの? と分からなかったが、唯言われた通りにすれば、すべてが改善されて子ども達も幸せになれると思い、言われるままに表明した。

今になって、子供がよく私に言っていた言葉を思い出す。「お母さんは冷たい。どうして友達のお母さんのように優しくないの? 冷たすぎる」と。あの時は、少しも分からなかった。私はこんなに優しいのに、こんなに頑張っているのに何もわかってない! 何言ってんの! と怒りさえ湧いていた。

しかし、セラピーを受けて漸く愛着を知り多少なりとも持ち始め、6年半の年月を経てやっと子どもの言葉を理解できた。愛着が無いのだから当然心も無くて冷たい、すべてを業務のようにこなしていたことになる。優しさどころか温もりもまなざしも関心も何もなく、ただ体だけを大きくしただけの子育てだったのだ。その子供も今は母となった。愛着を知らない母が育てた子が、母になり子育てしている、私が育てたように、業務のように。

今、私は愛着を知ったことにより「愛着が無い母」の連鎖を断ち切った。たとえ子供たちが手元に居なくても絆がありそれは伝わると信じたい、否、信じる。今からでも愛着を、温もりを知っていくと。



精神分析に出会わなければ、愛着が無いことさえ知らずに「愛着が無い」連鎖が末代続いていったかと考えると恐ろしい。つくづく知らないほど恐いことは無い、無知こそ罪だと知った。

よく「知らないことは幸せだ」と人は言うが、確かに何も知らなければ幸せかもしれない。だけど、無知は罪を作る。誰のせいでもない罪を作る。ただ無知という罪を。

これからお母さんになる人達や、今、子育てに奮闘中のお母さんに少しでも知って欲しいと思う。子供を産んでも母には成れない。ただ産んだだけになってしまうかもしれない。「母になるとはどういうことなのか」を知らなければ、お母さんが子育てに迷ったり不安になったり悩むのは当然だと思う。

何故なら「母になるとはどういうことなのか」を教えられていないから、それについて無知なのだから。慣習でも言い伝えでも母の教えでもなく、たった一つの本当の知を学ぶ。すべての答えは一つ、そこに在る。

私のように後悔しないために本当の知を知って欲しい、と願わずにはいられない。(クライエントT)

 

格言-1「知性の究極は無知である」

格言-32「知識をどれほど積み重ねても、それは決して知性に至らない。知識は記憶であって、思考ではないから。唯、知っているだけでは、知性とは言えない」

格言-38「叡智はしあわせの代名詞で、無知は不幸の代名詞である」

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