もう過去は引きずらない!『ここに幸あり』メタ言語講座を受けて
後半で先生は、自分では葬れない父、母殺しこそが分析の使命。そして、その場所に真理を置き換え、真理によって去勢する。極端に言えば、父も母も要らない。産んでくれただけでいい。後に自分がどうするか。そんなことより人間になろうと言った。
それを聞いて、囚われている養育史は関係無いのだと思った。むしろ、その養育史の何か一つでも欠けていたら、分析に辿り着けなかったかもしれない。悩み苦しみ続けたからこそ、精神分析の扉を見つけた。きっかけは無自覚だったとしても、きっと自分の意志でここに来た。
愛と憎しみの養育史も不平等だと嘆いた環境も、ここに来られた時点で全部帳消しになっている。真理は人を幸せにする。そんなことより幸せになろうと。
講座の最後に、最澄の「一隅を照らす」という言葉に触れた。真理とは別名、光。最澄の理想は、自らが光になれ、真理になれ、と先生は解釈した。真理を摑めば、それは光を持ったこと。自分が持たなければ照らせない。一隅を照らすとは、一人一人が真理を体得しろと。一言でもいいから、真理を語れる人になれという意味。
真理は学ぶしかない。自分から求めていかなければ出逢えない。先生は常に、皆師として学び続けている。だから受講生は講座で、真理について最新の語りを聴くことができる。こんな場所は他にはない。まさに「ここに幸あり」。
なかなか固着点はしつこくて、すぐに引き戻されるし、葛藤するし、打ちのめされる。だけど、学ぶことを諦めたくない。真理に触れて何度だって蘇る。幸せになろうとしない理由にはならない。幸せに不慣れで、怖くて、信じ切れないだけだった。幸せは誰かにしてもらうのではなく、自分からなっていくものだ。
フロイトが言ったように子供時代はもうないのだから、再現はもう止めて、未来の自分に限りある時間を使いたい。自分の人生は自分にしか歩めない。
ここに辿り着けた自分を信じて、一歩一歩、登っていく。そんな未来は希望の光に満ちている。いつか一言でも真理を語れるように、一遇の光となって人に寄り添いたい。(受講生S)