《まえがき》徒然草

日頃分析によって使っている脳は科学と論理を数学的公式と集合やトポロジーにおいて一つの心の原因に辿り着く、ある種のパズルを解いているようなもので、情緒も感情も右脳が作動することはない。これでは唯の無味乾燥な言葉のAIの音声のように唯々、淡々とクライアントに伝えているだけのロボットになってしまう。故に、私は分析している時に、いつも一方で音楽を聴いている。

それはクライアントの言葉が一つのメロディーに聴こえて、そのコード進行を分析脳に渡し、解析し、言葉にしているのだ。勿論その時流れている音楽は、J.S.BACHである。何故なら、BACHの音楽は数字にして美しいメロディーなのである。
工業製品でいわれる「機能を追及していくと、美に行き着く」と。それと全く同じことがいえる。法則が導き出した公式は、そのものが美しいのだ、A.アインシュタインが言ったように「E=mc2、何と美しい」と、自然な美を内包しているのである。私は科学と数学とのバランスをとるために、いつも二つを併呑し、美しい人生を目指している。

その時の日々の想いを綴ってみたら、大先輩 吉田兼好氏が居た。しかし彼とは一線も二線も画す。それは「第三八段」『悪口を言われたら―言った人も―すぐ死んでいくから、気にしなくてもいい』の視点の全くの差異である。
この死の普遍性を持って平等であり、意味を無にする防衛法は持たないからである。悪口を云ってきた人への恨みを死によって晴らすことは、理性ではなく、感情である。もっと左脳を使えば、科学と論理で乗り超えていく私とは袂を分かつのである。故に「令和の徒然草」とした。
精神分析家 蘇廻成輪