《時代》徒然草-106

世間の言うゴールデンウィーク・大型連休なるものは、私には無く。暦通りの仕事ぶりである。世の中と何の交流もなく、人々との交流もなく、空間的にも心的にも全く関りが無く、孤立や孤独を超えて、四次元に住んでいる感に囚われ、静かな日々を唯、淡々と送っている。明鏡止水といえば聞こえはいいが、世間でいう唯の引き籠りである。そんな生活が三十年ほど続いている。

私成りに社会に向けて様々な形で精神分析を文章でHPや本にして啓蒙しているのであるが、その甲斐も努力も虚しく、世間の反応は全くと言っていいほど無い。とても世間や社会、地球に住んでいると思えないほどの反応無き、透明な世界に居る。
三島氏風に言うならば「時代と寝たことがない」、正にそうである。社会的承認ではなく、反応がないことに、透明な世界に紛れ込んでしまって、今こうしているように思えてならない。
TVのドキュメントなどで、始めて数年程度で局の目にとまり、新聞・雑誌・TV等のメディアで取り上げられて紹介されているのを観て思うことは、人々に理解されるのは、視覚的にみて直ぐに解り、具体的利益がそれに伴い、成果を互いに享受できるものに限られているものであること。

それに比べて精神分析は、先ず解らない、直ぐに成果は出ない、まして視覚化などできず、おまけに誰もが受けられない高額な分析料に、糅てて加えてその絶対的分析者の少なさで、全く普及の見通しや条件に欠けている。そんな分析の未来は二千年先の時代で花咲くであろう。きっとその時は、私は時代と臥床を共にすることだろう。
精神分析家 蘇廻成輪