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ブログ  精神分析家の徒然草 

《Fantasize》徒然草-105

夏の東北旅行の折、宮澤賢治記念館を訪れた。チェロが大きなケースに収まっていた。賢治が弾いたチェロであるのは言うまでもなく、これでBACHの無伴奏を弾いたと幻想を抱いた。きっと賢治もBACHの魂に触れ銀河を旅したのだろうと思った。彼はFantasizeの世界を文字で織り、それで童話のタペストリーを仕上げた。その世界へ行くための手続き、そして父との葛藤があった。

父は浄土真宗の「南無阿弥陀仏」で賢治は法華経の「南無妙法蓮華経」を各々唱え、互いを主張したが、父は仏の教えは一つとして、神も仏も皆基ではつながり一つと教え、即ち真理は一つとして、伊勢・京都・奈良の旅を父子二人でしている。これを境に二人は和解した。



しかし、賢治には、宗教を超えた心の闇に蠢く魔物が棲んでいた。それを賢治は「業」(カルマ)と呼んでいた。それは同性愛だった。高校時代に知り合った同級生に共感し、思想を一つにし、その生き方に共鳴し、一体化してしまった。

彼は友人に恋をしたのである。故に終生妻を娶らずと宣言したほどだ。彼の心の裡に巣くってしまった業に身を委ね、生涯友人への思いを貫いた。その業を父は理解して受け容れた。賢治は父への熱い想いを友人に同一化し、対象愛的選択による同性愛に陥ったのである。正にプラトニックな同性愛を生き抜いた。

何故なら、友人との交流は文通だけなのである。友人は退学させられ、郷里に帰ってしまったからである。余りにラディカルな思想を憚ることなく表明したために、学校から退学処分にされ、国元に帰らされたのである。



賢治は終生自らの業と向き合い、それが何なのか、どうしてその心が生まれ、何を求めているのか、生涯気付くことなくこの世を去った。

1933年没の賢治は、ラカンに出会うことなく全く自分の心を分析することなく、巳に無知のまま、Fantasizeに埋没し、現実界と象徴界に辿り着くことなく「デクノボートヨバレ」る理想自我への同一化を目指して想像界を生きた、正にFantasizeの人なのだった。

 

精神分析家 蘇廻成輪

 

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