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ブログ  精神分析家の徒然草 

《融通無碍》徒然草-101

車検・整備後の試運転に漸く辿り着いて、休日勢い込んで、コンディションがどれくらい良くなり、修理は完了して完調かどうかの確認もあり、高速に乗った。タイヤも新品で、その皮ムキもあり、心躍り、ステアリングを握り、順調に走行してよしよしと思っていたら、突然目の前に車の渋滞が現れて、止まった。

この先の事故による通行止めだった。ICで降ろされてしまう。三車線がIC出口で一車線になる。それは半端ない渋滞で、1.6㎞を90分かかって出ることに。その最後の渋滞の一車線への侵入で、道を譲ってくれた大型トラックがあった。そのドアに会社のロゴがあり、それは丸徳とあり、社名は「大徳」だった。



自分はそんな徳を積んで来たろうか。最近セラピーでクライアントの話から「徳」の文字が浮かび、まさに言ったばかりで、その人は徳島の出身だった。何故か、その文字が浮かんで来たのできいてみたが、分析には関わりない事だが私に「徳」について考えさせるキッカケになっていた。そこにこの渋滞の最中で見た文字に、漸く先が見え、開けた気分になった。事実そこからICをスムーズに出て、走行再開できたのだから。

大徳といえば、京都 大徳寺で、私がかつて花園で暮らした事がある、20代の時に。そのアパートの近くに、妙心寺と仁和寺があり、その北に大徳寺なのだが、私は妙心と仁和寺を散歩コースにしてよく歩いていた。



その周辺を双ヶ丘という。近くには「徒然草」を最初に書いた、吉田兼好の居宅があった。私はその前を通り、銭湯に通っていた。もうそれは数十年前の事だが、今でも時々私はその前を歩き、銭湯に石鹸をカタカタいわせながら歩いている。時が止まっているのではなく、その当時の時空が今の時空とパラレルに進行しているのだ。

人間に過去や未来があるのではなく、幾つもの時空が同時に進行し、パラレルワールドを形成している。

私の記憶と主体は縦横無尽、融通無碍に動き、その時その時の時空を生きる。我々は一定の三次元空間に居るようで、実はどこにもとどまらずに、別の次元の世界を自由自在に飛び回って生きているのである。90分の渋滞もその経過は全く感じなかった。何故なら、イライラも早く脱出したいも、何も思わず、唯ゆっくりと車を前に進めていたから、私はその時どこに居たのだろう。

 

精神分析家 蘇廻成輪

 

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