徒然草-100《光の音》

その最初に選んだレコードが、井上陽水の日本初のミリオンセラーを記録したアルバム「氷の世界」だった。あの頃私は毎日「窓の外ではリンゴ売り♫」と、井上陽水の唄を聴いた。「心もよう」「帰れない二人」等々、毎日聴いた。当時それなりのオーディオコンポを自分で選び、システムを形づくっていた。

所詮アパートで鳴らす音なので、小ぢんまりとしたシステムで、レコードプレーヤーも再生できるだけで、音の善し悪しを云々するほどのモノではないことは当然のことで、僅かな音量でスピーカーから出て来る音をひたすら聴いていた。その時はいい音だった、と記憶している。
その頃聴いていた音を記憶の中で再生して、本番では、光カートリッジの音に対峙した。光カートリッジの音は、記憶の中の陽水の声を吹き飛ばしてしまった。記憶の音には似ても似つかない、異次元の唄声だった。
音の美しさは、その時、心がイコライジングして、唄の詩、その時の聴く人の自我や状況と情況によって加工され、果ては人生の生き様によって、その音を聴いているのだ。

当時の私は、二十四歳で一区切りをつけて、自称「余生」を送っていた時期であり、メランコリックに、そしてノスタルジック、更に、センチメンタルな情緒を音に投影して、自分が創り出した、ヒロイックな悲しい音に仕立て上げて、その音に浸っていたのだ。
それに気付かせてくれたのが、光カートリッジの純粋にして、歪のない、SONICの良い、透明な音色を、唯々受け取って聴くだけの私を、あからさまに暴き出してくれた本当にノイズのない澄み渡るような音は、人を唯その音を甘受するだけの、そして音を享受するだけの何も無い、空っぽの私にしてくれる。
又しても私は「無」になった。光は永遠の無に導いてくれた。
精神分析家 蘇廻成輪