《陶酔》徒然草-97

味の達人は判るが、とても味わうというレベルにはいかず、確かにワインなどは種類や年代の違いによる味わいは、それ成りにかぎ分けられるが、それで酔うことは出来ない。ヨーロッパに行った時も、ワインとビールは飲み放題で、水より易かったのを憶えている。
他の人から良く言われる言葉に「人生に酒無くして、何の楽しみがあるの」がある。「あります」と答えるが、酒好きな人からすれば、そんな楽しみは酒の無い人生を考えられないその人にとって、誤魔化しのように思われるらしい。

一度も信じてもらえないので、その楽しみが何であるか、一度も口にした事がない。宴会などは酔いつぶれていく人を眺めているだけで一人静かに食事だけしているのが常だった。
酒の席は別に居心地が良いとか悪いとかではなく、唯酔ってどうしようもない為体をいつもの風景として見ているだけだった。今はその宴会も酒席もなくなった。特段どうということのない日々を酒なしで送っている。
そんな私が一度だけ美味しい酒を飲んだことがある。今から40数年前になるが、上司が差入れしてくれたワインが今も忘れられない。
それを数人の同僚と飲んでいた所に上司が帰って来て、一杯呑もうといった時には、ビンは空になっていた。美味しい美味しいと言ってあっという間に呑み干してしまったのだ。ビックリしたのは上司で「お前らそのワインをいくらだと思っているのだ」と半ば怒鳴り気味にそして呆れた顔で、力なく言った。

それは貴腐ワインだった。樽で発酵した僅かな貴重なぶどうを搾った貴重で高価なワインだった。我々はそんな事知る由もなく、唯々「うまい、うまい」といって呑み込んでいた。1ビン3万以上だったように言っていた。私の美味しい酒の憶い出はこの一回である。
酒の人生も楽しく有意義であろうが、私には私の酒がある。それでいつも陶酔している。この酔もアルコールも同じだが、一つ違うのは二日酔いがない。毎日呑んでも差し支えがない。それは音楽だ。
精神分析家 蘇廻成輪