Blog

ブログ  精神分析家の徒然草 

《死守》徒然草-94

ワールドカップ2022がカタールで11月に始まった。日本はドイツと初戦で当った。私はどう考えても格が違いすぎて勝機はないと諦めて、観戦すらしなかった。ところが翌朝TVをつけたら、狂喜乱舞している日本サポーターが映し出されていた。何が起きたのかは、テロップを見れば直ぐに判った。

「日本大逆転」「ドーハの悲劇はドーハの歓喜」に変わった、と画面一杯に文字が埋まり、その勝利の衝撃を、文字の大きさがそのまま示していた。その時日本はワールドチャンピョンに何度も輝いた、スーパースターチームに勝った。それは相撲で言う番狂わせである。



格付けはそのまま力の差を表し、平幕はどちらにしても横綱に勝てる訳がないという、それは唯の思い込みでしかない。その事を私は知り、忸怩たる思いに駆られた。思い込みは絶対に持つな、常に初めてと思い、クライアントと向き合えと言いきかせている私は、その思い込み、予見を持ってしまったのである。

人にはそれが出来るが、事、勝負と力の世界においては、それを排することは、奇跡やまぐれを信じることになるので、過去のデータとランキングに頼り、日本を見捨ててしまった。ところが事実は、彼らの身体能力と気迫がどれだけのものかへの無知が、未来を過去にして、敗けるにしてしまった。



ドイツによる怒涛のシュートラッシュを見る限り、力の差は歴然であった。しかし、そのシュートもゴールキーパーが居るので、それをはじき返す限り、得点を与えることはない。18秒間に4発のシュートは凄まじかった。それを悉く防いだのは権田君だった。その姿を見て私は「守る」とは、何を守るかの問いが生まれた。

彼は守るべきもの、それはゴールで、その後ろにある何か。それは家族だと思った。彼のプライバシーは全く知らないが、必死に守り続けるその姿を見て、人は、守るべき何かがある時、それを生命がけで守るのだと、彼は身を以って示した。それは「死守」だった。

 

精神分析家 蘇廻成輪

 

SHAREシェアする

一覧

HOME> >《死守》徒然草-94