《五平餅》徒然草-93

枯葉に被われたベージュの草原と白樺と黄色に彩られた木々の群れがあちこちに散在する風景は、そこはかとなく広がり、真白なセンターラインの先を走るラインに導かれながら、高原の空気を胸一杯に吸い込み、空を見上げ、ステアリングを右に左に切り、車は地面に貼りついた様にスムーズにラインをトレースしながら、横Gを心地良く揺りカゴの中に居るようなのびやかな心で風を受け、一幅の絵画の中を走った。
このままずっと走り続けていたかった。しかし、時は無情にも終わりを告げる。

頂上に在るドライブインに寄って、お目当ての五平餅を食べた。長野まで行き何故五平餅を食べたかといえば、今を去る事40数年前に食べたそれが忘れられなかったからである。長野ドライブの最大の目的は五平餅を地元で食べることだった。
私はかつて雑誌の編集者だったころに、長野へ取材に行き、その折、ある人の家に寄ばれ、そこでおばあちゃんの作った五平餅を食べ、クルミ味噌合えのその甘さの虜に、一瞬にしてなってしまったのである。一目惚れならぬ、一味惚れである。
そしてその五平餅を食べてから四十数年の月日が流れ、その味に恋い焦がれながらも、一度も口にすることはなく今日に至った。
それがふと長野へ行こうと思い立ち、その遠い記憶の片隅にひっそりと静かに仕舞われていた味が、突然彷彿と湧き上がって来たのである。その時、あの味にもう一度逢いたいと思った。そして車を走らせた、長野へ向けて。

その取材は、木曽の山から「御神木」を切り出す場面を撮るものであった。どうしてその檜が御神木であると見抜いたのかは定かではないが、それが神宿りし木であるとどなたかが決めたのである。
私にしてみれば、あの餅こそ「御神餅」である。神前に捧げたいご供物である。それを作ったおばあちゃんはきっと女神だったのであろう。生きていれば120歳を優に超えているであろう。あの味は伝承されているのだろうか。
神は木にも餅にも、そして人にも宿っていることを、あの餅は教えてくれていたのだ。
精神分析家 蘇廻成輪