《心の旅》徒然草-87

私が惹かれたのは、その車のドライバーだった。彼は車から降りてくるなり「この車が最高だ」と言った。彼曰く「色々な車に乗ってきたけど、リッターバイクと張り合って互角に走れるのはこの車だけ」と。2017年産らしいが、それで充分速いという。

続けて彼は言った。「今まで物足りなくて色々乗り換えて来たが、この車はお腹一杯にしてくれて、もういいというほど速くて、思い通りに操れる」「それが判るようになったのは150万㎞以上乗ってからだ」と言った。
私は車の素性が判るのに1~2万㎞ぐらいと思っていたが、彼は車と対話すること150万㎞で判ってきたという。彼の車との対話力は尋常ではない。好きとか対話するといった世界を超えて、彼はいつも車と共に生きている。
人生の半分車に乗っていると言えるほど車と共に走り続けなければ、年の頃ならまだ30代40代だろうか。その年でほぼ月との間を二往復したとは、何たることか。彼は二度も月に車で行って来たのである。

私のセラピーの臨床時間も高々2万時間以上では話にならない。臨床時間と車の走行距離とは、そもそも比較できるものではないが、共に居たという時間では、私は彼の足許にも及ばないかもしれない。
私はまだ分析の入口に立ったばかりなのであろうか。時空を超える分析は理論的帰結でしかないので、新しい分析方法の新たな理論ではなく、言語がもっている当然のことなのである。私はいい気になっていたが、人間の心の宇宙の旅は始まったばかりかもしれない。
いつの日か、人間とはを一言で語れるその日まで、私も分析の道を走り続けよう。そう決意させてくれた彼であり、ツーリングだった。
精神分析家 蘇廻成輪