《コロナ》徒然草-86

私は何も出来ないが感染してた人の対応をしつつ、様々な対応もこなし数日すごす。その中で私は感染することなく通常の生活を送った。すべての人が感染した訳ではなく、濃厚接触者でありながら罹患しない人も多数いた。

その明暗はくっきりと分かれた。症状が出ない人も居たことで、すべての人が感染する訳ではなく、免疫力が分けることが証明された。その抗体は「進化」である。進化のワクチンを打っている人は罹患しなかった。見事にその差異が表われた。
私の人生のテーマは「進化」で、常に前へ前へである。故にとどまることは知らないし、止まれば死を意味する。自己は新たな自己に向かって投企し続けて、自我理想を更新していくことが人の一生だと規定している。
コロナ襲撃前には進化を忘れて怠惰になっていた。そんな自分に何かで気付き、すぐに心を入れ替えて、前向きの心が未来に向かって行く推進力を持ち、自己を推し進め始めた頃にコロナが来た。
まさかそれを自らが身を持って証明しなければならない状況に立つとは思わなかった。その事に立ち向かい、自分を知ることになろうとは。生きている限り、すべてのことが起こり、それを証明しなければならないハメになる。
人生は結局逃れられない事がある。どうあがいても来るものは来るし、しなければならない事は、結局それをすることになる。その総体を人は運命と言っている。

思考が物質化する世界と、人間の集団が思考する集団的無意識が物質化した世界現象とのシンクロが、この世の出来事になる。個と集団が織り成すこの世界の現象は、一体何処に向かい帰着するのだろうか。個人の心が一つにならない限り、愛も平和もない。
集団が目指す方向も一つではなく、国益や企業や財閥の利益だけの追及の市民は犠牲にされて、公益に帰着しない。個人と企業、国家の目指す利益は、結局一つにならず、最終的に決裂してバラバラに崩壊する。
人間の心はバラバラである分裂症的人間という症候を病んでいるといった普遍的人間精神のそこに還るのである。
精神分析家 蘇廻成輪