《感性》徒然草-85

その素敵という言葉の響きと、車の格好良さをしっかりデザイン的に把えて、婦人の感性に訴え、格好良いと思わせ、素敵という言葉を発したとすれば、いつも私の車をみている、両隣に駐車している若い男女のカップルは、私の車をみているにも拘わらず、全く反応したことはなかった。

自分の車しか見ず、どんなに格好良いスポーツカーであっても車に興味のない人にとってはどうでもいいことで、老婦人の様な感性は全く持ち合わせてないことが、いみじくも判ってしまった。
車の種類や車名は知らなくとも、小学生でも知っている名車に全く興味も感心も、一瞥も投げかることのない若者達の無関心さに驚く。
かつて駐車場の前の道路工事をしていた作業員の男性が、矢張り老婦人と同じ言葉をかけてきた。矢張りちゃんと見てチェックしていたのだ。「私もスポーツカーは好きで乗ってますけど」と言って、声をかけてきた。

人の関心は各々で、決して注目されたい訳ではなく、唯、全く車など関心のないと思われる老婦人から「素敵な車」と言われた時、美的センスは年齢や性別ではなく、教養と知性が創り出す感受性こそ、人間の品性であると思った。
きっとこの婦人は教養もあり、心豊かな晩年を送っているのだろう。そして、素直に感じたままを言葉にしてしまったのだろう。素敵という言葉は何と素敵なんだろう。
人間は美しさに対する感性と自らの心に映したものを素直に表現していきていくことがきっと素敵な人生だ。
精神分析家 蘇廻成輪