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ブログ  精神分析家の徒然草 

徒然草-83《梲》

体の疲れと心の癒しの為に、ある温泉宿へ行く。そこは山の斜面に広がる温泉地で、平地がない。それ故、駐車場は宿の敷地内にはなく、少し離れた場所に僅かに確認されているだけ。その状況ではお気に入りの車を乗っていくのは憚られるので、次回リピートした場合の駐車場の安全な所があるのか、仲居さんにきいた。

しかし、どこも何か問題があり、捗捗しくなかった。そんな姿を見て仲居さんが言った。



「ところで車は何なのですか。そんな心配されている処をみると、よほど高級車なんですね。ベンツですか。」
「いや、F車です。」
「そうですか、それは考えますよね。うちの亭主が乗りたいと言っていた車です。残念ながら梲が上がらず、遂に乗れずに定年になってしまいました。」

仲居さんの「梲が上がらない」という言葉にハッとした。私は自分の乗りたい車に乗れたことを、梲を上げたとは、全く考えていなかった。しかし、一方他者から見れば、その車が梲の象徴になるのかと思った。

世の中には、社会の中で成功したり、出世したりすることが男の甲斐性とされる風潮があるが、その事の始まりは、この「梲」だったのだ。その他に「故郷に錦を飾る」とか、「凱旋する」とかある。



いずれにしても名を成して故郷を凱旋する夢を、男は古来より持ち、その夢の実現の為に頑張る。アメリカン・ドリームとまでいかなくても男は栄光に向かって突き進む。英雄になることが男のロマンであり、男として生まれて来た宿命のように感じているのは、昔のことだろうか。

感じているという表現には、それをしっかりと把えているという確かな根拠も文化も概念もないのに、何となく世間の不文律のようにフレーズ化されていると考えることも、今や幻想なのかもしれない。

私の梲はまだ上っていない。世間に知らしめてこそ梲であり、個人がそれを認知しても、世間の目に触れなければ、何ものでもない。私は「精神科学」の旗を揚げるまで、梲の上がらない男でしかない。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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