《神田川》徒然草-82

買い物に行くと言ったので、パンツを穿き替えて行くのかと思ったら、そのまま出て行った。私は驚愕した。何故なら、私にとって摩り切れたズボンの穴は、貧しさの象徴だったから。
妻も同世代の人間だからそれは承知している筈なのに、それがいつからか、その意味を失い、剰えファッションになってしまったのか、その宗旨変えに驚いたのである。

昭和の時代は、物が出廻り始め、豊かな生活と所得倍増に経済が動き始めていた成長期だった。そこには物に恵まれず、物を大事に扱い、大切に愛着を持っていつまでも、その物と共に過ごし、生きることが美徳だった。なのにいつから家人はその昭和の遺産の心を書き換えたのか。
私は私自身、未だに昭和を生きていると実感した。それは今の時代に生きていないことを意味する。その証拠に、私はPCに触れることがない。当然スマホではなく、未だにガラケーと呼ばれる旧態依然とした通話とメールのみのものを使用している。それ以上必要ないからである。それで日常は事足りる。

SNSやLINEなど全く無縁である。それ故、今流行している世間の風潮にも無縁である。そんな私が、膝丸出しのダメージパンツなど、容認する筈がない。
しかし、家人は時代に合わせて、今のファッションセンスと意味を理解している。私は絶対にそんなパンツを穿くこともなく、貧しさの象徴という意味を書き換えることもない。
私は私の今を、即ち昭和を生きていく。物ではなく心の豊かさを求めて、♬ あなたの優しさがこわかった ♬ を。
精神分析家 蘇廻成輪