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ブログ  精神分析家の徒然草 

《神はサイコロを振った》徒然草-77

ロシア軍がウクライナに軍事侵攻して以来、TVは連日戦況を伝え、その悲惨な映像を放映し続けている。破壊された街とガレキの山を、そして悲惨な叫びと血だらけの子や市民を抱えた市民達の懸命で必死にかけ廻って、逃げまどう惨劇を、私は唯々地獄絵図をその現実に起きているあってはならない阿鼻叫喚の世界を呆然とみている。

一応平和な日本であるが、この事実は、もう安穏たる日々はないと思った。もう二度と世界大戦終結の1945年以降は、人を殺すだけの戦争はないと勝手に思い込んでいたことを、ロシアの非人道的侵攻は教えてくれた。



阿鼻叫喚地獄は仏教絵図の中でしかない、空想の有り得ない創造世界だと思っていた。人間の恐怖と悪魔の心が創り出した仮想世界にすぎないと、絵本をみるように子供だましの、子供を恐怖で威嚇する仏教絵本の1ページでしかないと思っていた。それを私の思いをロシアは一撃で砕いた。見事にそれこそ、平和は子供地味た絵空事になってしまった。

人は兵隊になると、いとも簡単に人を殺し、街を破壊しすべてを無に来することに何の躊躇もなく引き金を引きミサイルのボタンを押せることが驚異に感じ、非情になれることが、恐ろしい人間の深淵をみる。愛と平和を説く思想家や宗教家が居る一方、このように破壊と殺戮をいとも簡単に、命令という一言で行動してしまう人間がいる。



フロイトが言ったように、人には生の欲動と死の欲動があると二元論を説いた。前者をエロスといい、後者をタナトスという。この相反する欲動は、愛と憎しみの両価性をつくり人はこのアンヴィバレンツを抱えながら、平和と戦争、愛と憎しみの矛盾した行為を繰り返す。果してこの相克はどちらが勝利を握るのか。

アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったが、私はかつてから「神はサイコロを振った」と言っていた。そのサイコロの目は何に賭けたのかと言えば、人類は愛を勝ち取り、平和な楽園をつくるのか、それとも憎しみが勝って絶滅するのかの賭けである。神は人間の心にアンヴィバレンツをインプットして高みの見物をしている。

その賭けの結着は人類のみぞ知るである。

 

精神分析家 蘇廻成輪


 

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